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■ 耳の中の記憶
テレビを流していたら(ここ数日、自分を落ち着かせるために テレビをつけているのです。テレビ嫌いなのに信じられない!) たけしさんの番組にイングリット・フジ子・ヘミングさんが出ていた。
私はわりに彼女のピアノが好きで、ときどき聴いたりする。 少女時代と、30代のドイツ留学中に、片耳ずつ聴力を失ったピアニスト。 現在は左耳の聴力が、約4割ほど回復したらしい。それでもわずかな聴力だ。
それだからだろうか。 彼女のピアノのタッチは重量感があり、残響はごく短めだ(に聴こえる)。 上半身で弾くというよりは、頭蓋から足先までを音にのせる弾き方をする。 リストのラ・カンパネラは、既にフジ子の曲として作曲者の手から離れている。 そのように聴こえてくるのだ。
耳の中の閉じられた空間で、先にイメージが奏でられているせいかもしれない。 いや、ほんとのところ、そんなこと全然わからないのだけれど。
さて、私は彼女のピアノよりも、実は絵の方が好きだ。 ごく柔らかなエンピツでささっとデッサンし、色のある場所にだけ色をのせる。 「色のある場所」というのは、たとえばテーブルの上の赤い花だったり、 少女の青いワンピースだったり、オレンジのマドラス・グラスだったり。
視覚的にぱっと鮮やかさを感じた場所にだけ、生命を彩る。 一枚の絵の中に一箇所だけのこともあるし、ほぼ全体が塗られるときもある。 フジ子の描く絵には、生きている値打ちが込められているようではっとする。 そして、色彩の持つ美しさを、素直にきれいだと感じてしまう。
いつかわたしもそんな言葉を描いてみたいと思う。
2002年03月01日(金)
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