月のシズク
mamico



 (久々の)ウィークエンド・リポート

■いやー、実によく歩いた。
 地図上で軌跡を辿ると、ほとんどジグザグ歩きしていました。
 詳しくは「休日の風景」を参照のこと。ド・ピンクの東京タワーは最初
 正直ぎょっとしましたが(エッチというか淫靡というか)帰る頃には
 ラブリーな印象に変わっていました。今日も窓からよく見えます。

■帰りに寄った "THESE" は「テーゼ」と読み、命題、定立、論旨の意味。
 店の男の子たちは皆キュートで、カウンターの中にいたひとりはナカイの髪型。
 「妹」が「さっき吉野屋の前で見たポスターに似てますよね」と指摘。確かに。
 そしてこの「妹」、私よりはるかに酒飲みです。アップルトンをロックでガンガン
 飲んでいました。「おいしぃー」とそんなに可愛い笑顔で言われたら、お姉さん
 はどうすればいいんだよ。コワイ男には気を付けなさい、と少し母ゴコロ。

■地下鉄も終わり、タクシーで渋谷に出て井の頭線のホームへ。
 こちらも吉祥寺へ戻る電車は既に終了。山手線→中央線の最終を乗り継ぎ帰宅。
 なんというタイミングの良さ。というか、ちょっとリスキーよね(苦笑)。
 週末の最終電車の地獄絵図。駅に止まるたび、ホームに突っ伏して吐瀉する
 酔っ払いたち。ああ、日本て本当に幸せな国だわ。彼らはどこで朝を迎える?

■日曜、再び渋谷で用事を済ませ、ついでに本屋へ寄る。
 椿姫の朗読が収録されたCDブックの『ヴォイス』、現代思想10月号「特集・
 アメリカを知れ」、週間読書人のペーパーを購入。あちこちでアメリカが語られ
 はじめている。読書人にはウチの教授も連載中。今週は大江健三郎と渡辺淳一
 の「死体の描き方」を通して「9.11」を見つめています。

■住処の某喫茶店にて『海辺のカフカ(上)』を読み終える。
 オイディプスの「ふたつの予言」やら、カートヴォネガット張りの寓意的分裂型
 証言法などが私の中で喚起される。たくさんの破片を見るのに、それらは全体の
 一部であり、全体はそれらの破片であることを知る。夜、耐えきれずに(下)を
 読み始めた。予測がすべやかに叶えられてゆくのが、怖い。

■ちょうど台風が東京を横断した夜から、すごいことになっている。
 死んだ貝の口のように、永遠に閉ざされてしまったかのような私の思考が、
 突然、何の前触れもなくあふれ出した。これはヤバイ。肉体がぜんぜんついて
 ゆけない。なのにアタマの方からは、とめどなく溢れてくる。少々、疲れた。

■オーストラリアでワーホリの任期を終えた友人から、久しぶりにメイルが届く。
 バリのウブドで疲れた羽を休ませているとのこと。去年の夏、ウブドの目抜き通
 りにあるカフェ・ワヤンで、スイカジュースばかり飲んでいたことを思い出す。
 今はまだ "interlude(幕間)" だという。旅はこれからも続くらしい。
 私はいつか彼と再会することができるのだろうか。東京の街のどこかで。


2002年10月07日(月)
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