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■ ノクターン
ごんごんうなるエレベーターから降りて、非常灯のついたガラスのドアから 外へ出ると、夜露をたっぷり含んだしめっぽい空気が肌にまとわりついてきた。
今日は一日中、細かい雨がしくしくと降っていた。 夜になって雨は上がったのに、白っぽい靄が辺りを覆っていて、 さほど進まないうちに、服がしっとりと濡れてしまった。
私は、立派な欅並木が両手を伸ばし「とうりゃんせ」する長い腕のはるか下を、 ぼんやりとした白い靄の中を、夜がすっかり音を吸い込んでしまった世界を ゆっくりと通過して、うちへ帰る。守衛さんが、頷くようにして挨拶してくれた。
うちに帰ってすぐに、バスタブにお湯をはった。 お湯がたまるまで、ベランダに出て煙草をすう。
寝室からは、マリア・ジョン・ピリスが弾く、ショパンの夜想曲全集が 大きめの音で流れている。こんな夜は、いつだってピアノが聴きたくなる。 ひとの声でも、幾重にも重なったシンフォニーでもなく、いつの間にか 心に染み入ってくるピアノの音が、聴きたくなる。
お風呂には、ピリスのピアノを聴きながら入った。 浴室のドアを少しだけ開けて、寝室から流れる音を招き入れるようにしたのだ。 左手、低音部の和声的な伴奏の上に、右手のロマンティックな旋律が歌いのり 哀しいような、淋しいような、せつない気持ちにさせられる。
2枚組、全21曲のノクターンを、何度も何度もくり返し聴いた。 取り立てて何があったわけでもないのに、心だけが小波立っている夜。 どんどん心が鎮まってゆくのを確認し、私はまた、少しだけ安心する。
2003年05月19日(月)
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