2003年03月24日(月)


土曜日にじいちゃんが死んで、今日通夜が開かれた。
僕は就活とバイトを中断し、連日実家通いが続くだろう。

幸いなことに、偶然にも僕は金曜日に実家に帰ってじいちゃんを見舞っていた。
じいちゃんは、鼻からチューブを入れられ、脇腹に肛門を付けられ、点滴を打ち、
咽喉には痰が絡み、尿取りチューブを付けられ、微かにある意識の中で僕を認めた。
そして翌朝呼吸を止めて死んでしまったのだった。(実家でね。)

昨日駅に迎えに来た妹が涙ながらに訴えた。
「おねえちゃんにどうしても言いたい事があった。
 何故実家に帰ってこないのか。
 じいちゃんもばあちゃんも、ねえちゃん帰ってくると心底喜ぶ。
 あたしもあの家キライだから出て行くのはわかるが、
 それでもじいちゃんやばあちゃんのそういうことは理解しててくれ」。

そんなような内容だった。
僕は「わかった」と一言答えた。
正確に言えば「わかっている」だったが、余計なことは言いたくなかった。

実家に着いて、みんなだいぶ落ち着いている様子だったが、
訪れる人と話をするにつけ誰かが涙を流した。
それはばあちゃんだったり母さんだったり叔母様だったり近所の人だったりした。

僕は居場所がなくて落ち着かず、他の部屋へ移動して一人読書していた。
そうして母さんに小言を言われ、居間に行ったりじいちゃんの部屋に行ったりを
寄る辺なく繰り返していた。
なにしろしばらく帰っておらず、また、帰ったとしてもそう動き回ることもないので、
家の勝手などわかるはずも無く、僕にはなす術がなかったのだ。
さらに、訪ねてくる人の名前も顔もわからなかった。
母さんは気が立っていて、そんな僕を見かねては「お茶を出せ」だの「挨拶しろ」だのと
口やかましかった。
邪魔になりたくなかった僕は、仕方なく邪魔になるしかなかった。

僕は実家では大変物静かで、あまり逆らうことをせず、余計な口も利かない。
居ても居なくても多分家族の者に不自由はないだろう。
僕は彼らにとってそういう存在になりたく今まで努めてきた。
だから陰で話していることにも他人事でいられるのだ。

「この子は昔からお絵描きや積み木なんかの一人遊びが得意だったね」
「この子はおとなしい子で知らない人と話すのが苦手よね」
「この子は真ん中の子だったの、てっきり他所んちの子かと思ったわ」
「お兄ちゃんは本当に頼りになるしよく面倒見るいい子ね」
「妹さんは本当に親切で優しいいい子ね」

本人いるんですけど。

しめやかに通夜は終わり、僕はコナンスペシャルを見てから帰ることにした。
帰りの車は兄ちゃんだった。
兄ちゃんは妹と違って余計な口は利かなかった。
僕が実家に寄り付かないことや、通夜でも涙しなかったことを責めもしない。
おかげで気が楽だった。
男脳と女脳の違いはこういうことなのかとふと考えたりした。
女は言わなくてもいいことまで言う。
母さんや妹が僕がすでに理解していることをやかましく言うように。
でも、僕だってこんなふうに感情的になりやすいのだろうなと、諦念を感じもた。



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