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ここには何もない。 と感じることがある。 でも実際には、どこにも何もないのだ。 どこか違う場所に行くだけで本質的な何かが変わるわけじゃない。 変わるということは、そういうことではないから。 そんな簡単なことではない。 だが同時に。 ここには何でもある とも思う。 手を伸ばせば、すぐ届くことに気づく。 つまりそれが、「若い」ということだ。
「若さ」という燃料をどのように「消費」していくかが大事なのだと思う。若さがなくなってから後悔しても遅いのだ。安定を求めるのは年老いてからでいい。でも、どうも周りの同年代の知人を見ていると、すでに安定した場所に留まろうとしている人が多い。野心も夢もない。最初から諦めている。あるいはそもそも何も考えていない。それは生きかたの違いだからいいのだが、そのくせ「お前は良いよなあ」「どうせいくらがんばってもお前には勝てないからなあ」とか言うのはやめてもらいたい。実際に努力している量が違うのだから。人間は機会は平等に与えられるべきだが、結果までが平等であるはずがない、むしろ平等では不公平だ。努力した者としなかった者の結果が同じであるはずがない。ただし、努力したからといって必ずしも報われるわけではないが。それが努力しない人が多くなる原因の一つかもしれない。 (それと、いくら努力努力とはいっても、やはり「才能」というものの差は歴然と存在してはいるけれど。実際、いくら努力しても勝てない相手はいるし(相手が全く努力しない場合は別だが)、逆に自分が誰かにとってそういう存在にもなりえる)
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