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2002年06月20日(木) シュレーディンガーの猫はラプラスの悪魔の夢を見るか?

一ヶ月後には前期試験開始。
そろそろ本格的に復習開始しなければなあ。
でも他のことでもわりと忙しいんだけど。
まあ忙しいというのはある意味で楽なことでもある。何をするのかをすでに決めた後の状態なのだから。本当に大変なのは、何をするのかを決める段階である場合が多い。試験終了後の夏休みまでは、ただ走り続けるだけだ。息切れしないようにしながら。



ニュートン力学の世界では、この世のあらゆる事象を微分方程式で記述してそれに初期値を与えれば未来永劫までを完全に知ることができるはずだったが、量子力学における不確定性原理がそれを打ち破り、物理は確率的にしか語る言葉を持たなくなってしまった。これはある意味で物理の退化ともいえる。そして我々が見聞きするこの世界は確率の集合、まさしく偶然という奇跡の重なり合いにより構成されているというおよそ常識的ともいえる結論に至る。しかしただ偶然であると思うのと、偶然的な法則(量子力学)というフィルターを通した上でとでは、世界の見え方が違うのではないだろうか。少なくとも僅かには変わる。少なくとも僕は変わった。
思想家と呼ばれる人々の中には、「世界」というものを知ろうとする人々もいる(いた)が、その中の多くは物理を積極的に学ぼうとはしない(しなかった)。物理を知らずしてどのように世界を知ろうとしたのだろうか。もちろん物理を知りさえすれば「世界」を理解できるなどというわけではないが、それなしに理解できるというのだろうか。(まだ完成していないが)この世を統べる法則(物理)を欠落させても理解できるほどに「世界」とは容易な相手なのだろうか。それを、時々、(とりわけ物理に関心が低い)思想家と呼ばれる人々に問いたくなる。問うたからといっても、どちらが正しいという結論になるわけでもないが。


sora |MAIL