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| 2002年07月15日(月) |
平坦な戦場で僕らが生き延びること |
世の中は上手く行かないことも多いわけだけど、まあ別にそれでいいんじゃないかな。 上手く行く場合もあるわけだしさ。 僕だって思うようにならないことがある。でも思うようにできていることも多い。
贅沢を言う前に、贅沢を言えるだけのことをしてみようと思う。
自分が自由か不自由かは見方によるところも多い。 人間は飛べない、ということは確かだけど、その代わりに人間にしかできないこともある。 色々なものを取捨選択しながら、僕たちはそれを探しているじゃないかと僕は思う。 少なくとも僕は探しているのだろう、と思う。
僕は、今の日本やその他のいわゆる先進国の情報化された社会はそれはそれでその良さがあり、面白さがあると思う。昔は良かっただとか、文明が発展していなくても情緒があったとか、そういうふうに過去を美化しても仕方がない。今だって探せば情緒くらいある。見つけようとせずに過去や他国の文化ばかりを見て羨ましがっていると見つからないだけだ。自国の歴史的な、あるいは他国の文化に触れて感動したり感心したりすることはもちろんあるけれど、でも、僕がいま生きているのは間違いなく現代の日本なのだ。それを否定することは決してできないし、否定しようとも思わない。
『自然を見て美しいなと思うこと自体が、不自然なんだよね。汚れた生活をしている証拠だ。窓のないところで、自然を遮断して生きていけるというのは、それだけ、自分の中に美しいものがあるということだろう? つまらない仕事や汚れた生活をしているから、自然、自然って、ご褒美みたいなものが欲しくなるんだ』(森博嗣『すべてがFになる』)
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