たぁちゃん日記。
さな



 まるで夢のような出来事。

何から書いたらいいんだろう?
よくわからないから最初から書いてみる。
でも正確には何処が最初なのかはわからない。
故に内容は前後する事もあると思う。


それ以前に、本当は書くべきでは
ないのかもしれない。

でも、記憶が風化してしまう前に
何もかもに幕がかかってしまう前に
私が忘れてしまわないように。





8月15日はとにかく暑い日だった。

昼間、不機嫌だったたぁが
少し機嫌を直したのを見計らって
私は一人アパートへ戻り
ただ立ってるだけでも汗だくになる中
アパートの大掃除に取り掛かっていた。


しばらくして妹2が手伝いに来てくれて
2時間ほどで掃除を切り上げた。
とにかく汗が気持ち悪かった。

ちなみに片付いたのはキッチンだけで
洋室和室は片付ける途中で切り上げたので
かえって散らかってしまっている。

「もういい、明日にしよう」

妹1に預けたまんまのたぁも気になるし。
元気ならいいのだが
体調を崩し始めているようだったから
それがとても心配だった。


ミルクの残りが少なかった事もあって
妹2に寄り道する旨をつげ別れる。


別れた直後、午後4時半近く
その妹2から電話で
叔父が倒れた事を知らされた。
どうやら妹1から電話があったらしい。


その連絡を受けた私は
ついに来たか…と思った。

叔父は過去に一度倒れている。
その後、薬も処方されているのだが
電気工事の仕事をする叔父は
面倒くさがって飲むのをやめてしまっていた。

次に倒れたら仕事に支障をきたすかもしれない。
支障ですめばいいけれど…。


叔父は独身で実家の敷地内に住んでいる。
一族の一人、と言うよりは家族の一人と言う感じだ。
私はいずれこの叔父の老後の面倒も見るのだろうと思っていた。


私が実家に戻る時なのかもしれない。


乾いた空に雷がひかるなか
ぼんやりとそんな事を考え
ミルクを買った私は家路を急いだ。

後に、病院へ駆けつけた両親も
その時は私と同じ事を考えていたと
障害が出てしまったら
現状では面倒が見れない
と思っていたと知る。


帰路につく私に再び着信。
時刻は5時をさす頃
今度は妹1だった。

めいっぱい急いで帰ってるのに
こいつはせかすきか!と思ったら
対応が不機嫌になる私。


「あのね…叔父さんがね…」
と切り出す妹1の声は震えていた。
「聞いた。もううちのそばだからすぐ着く」
ぶっきらぼうに答えると
緊張が取れてほっとしたような声になる。


そんなに心細かったのかと思った私は
晩御飯はカレーでいいかな?
と考えつつアクセルを踏み込んだ。



家に着くと妹2人と祖母と叔母が
コマネズミのように動いていた。

玄関から盆棚の飾ってある和室
更に奥の部屋までとにかく片付ける。
その部屋は泊まりに来ているイトコ達が
いる部屋で帰るまで万年床状態なのだが…。


よくわからないうちに
そのコマネズミの集団に加わった私だが
視界の端に今現在進行している現実を
目の当たりにする事になる。



奥の座敷に南北に敷かれた一組の布団。
目に痛いほど真っ白なシーツ。


倒れた叔父が自宅療養?
そう思ったのは一瞬だけ。



なぜなら、その枕は北を向いていた。




昼に仕事先から一度戻った叔父は
いつも通りの叔父で、泣いているたぁに
「なに泣いてるんだ〜」と話し掛けていた。

私は眠い目をこすりながら
「不機嫌なんだよ〜」と答えた記憶がある。


父の兄弟の中では一番体格が良くて
一人身で来てしまったせいで
祖母が一番可愛がってた子供。


その叔父が死んだ?


それじゃあさっきの妹1からの電話は
それを知らせるためにかけてきた電話だったのか?


誰にも確認を取る事は出来なかった。
コマネズミの集団がその事実を無言で告げていた。


嫌な現実だった。

信じろと言われても
にわかには信じられない
けれどそれは紛れもなく現実だった。


こうなるともうやる事は決っている。
葬式の準備だ。


妹2人の話しによると
その時の私はたらら〜ん♪と帰って来て
「ミルク買って来たよ〜」
と、あまりにものんきだった。

そして途中から
突然動きが変わったらしい。



片付けながらもやはり夢のように感じていた。



父より一足先に帰ってきた母が
玄関先で叔母と顔を合わせた。
その瞬間、2人は泣き崩れる。

現実が色濃くのしかかってきて
私も泣きそうになったがこらえた。
泣いてる場合じゃない。


ぱたぱたと要領悪く動いているうちに
近所の人や近い親戚が集まり出した。

みんな一様に信じられないと言った顔だ。


そして午後6時ごろだったか
父の叔父の運転する車が庭に入ってきた。
その車には父も同乗している。


叔父の帰宅だった。


家の中にいる人に
「帰ってきたよ」とつげて
叔父を迎える。


何人がかりだったのかは覚えていない。
体格のいい叔父を布団の上まで運び込む。

父も泣いていたのだろう。
汗だけではないものがそこにあった。


まず祖母が近寄り、泣いた。
後にも先にも祖母が人前で涙したのはこれっきりだ。

コマネズミの一団にいた叔母が
その反対側で泣き崩れた。
彼女は叔父と一番仲が良かった。

私はたぁを抱いたまま祖母の近くに寄った。
一人で泣かせておくには祖母は年を取りすぎていた。
すぐに父の姉である伯母がやってきたので
祖母の隣りを譲り私は後ろへ下がった。

私もそれ以上そこにいる事は出来なかった。


それ以降の事は記憶があやふやだ。

盆棚が片付けられたのは覚えている。

けれど簡易的な祭壇が枕元に設置され
葬儀屋が来て式の段取りを決める
その間の出来事を私は見ていない。


コマネズミの一団にいた間中
年下のイトコ達にたぁを見てもらっていた。
中学生の2人には夕飯抜きは良くないだろう。

今日はバーベキューの予定だったので
特に夕飯の準備はしていないし
すぐに食べられそうなものは
ラーメンくらいしかない。

「何か食べる?ラーメンならあるけど」
そう言った私に叔母が
「こういう時はラーメンは駄目だよ」
とたしなめた。

麺類は葬式が終わるまでは食してはならない。
こんな悲しい事が細く長く続いてしまわないようにだ。
私はそれをすっかり忘れていた。



一通りがすんで枕元に座り線香を上げる。

ギリギリの所で現実を遮断していた
刺繍の入った真っ白な布が
うっすら赤くにじんできていた。


これは何?
両隣に並ぶ妹に問う。

私は叔父の体が夏の暑さに耐え切れず
溶けてきているのかと思った。
そんな筈はないのだけど。

伯母に問うと顔にかかった布をさっとはずしてみてくれた。


妹2が「死後処置が悪い」と言った。
普通なら施されているはずの処置が
その時の叔父にはまったくなく
そこからにじみ出たものが
布に染みを作っていたのだ。

現役看護婦の妹2が叔父の顔を拭いた。
「感触が残ってるよ…」
寝る直前に彼女はそうつぶやいた。
あのままにしておけないだろうから
明日の朝、私が処置をするしかないかなぁ、とも。



父は4人兄弟。
伯母、父、叔父、叔母。

流石に上2人は違った。
ただ泣くだけではどうにもならない事
やらなくてはいけない現実に対処出来る。

出来ると言うより
対処しなくてはならない。
そんな役回りかもしれないけれど
長姉長兄である彼らには
それはもう当たり前のように染み付いていた。



実家に戻って3日目。
青天の霹靂ってきっとこういう事。

2002年08月15日(木)
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