たぁちゃん日記。
さな



 父の奇行

私は叔父に感謝しなくてはいけない。



その言葉の意味を知る。




葬儀が執り行われる朝。
みんなばたばたと支度をしていた。

私は居残りなのでのんきなものだ。


妹2が「行かないの?」と聞いてきた。
行かないよ、笑って答えた。


外を見ると母の妹が来ていた。
たぁが産まれた時にお祝いをいただいていた事もあり
たぁを見せに行く事に決めた。 

これはいらついていた母を怒らせる事となる。
「帰ってきたとは言え、公にはしてないんだから
あんまりふらふらしないでちょうだい!」
と言う事らしい。


私が葬儀に参列すれば嫌でも知られてしまうよね。
けど、そうなった時は仕方がないと思うのがうちの母なので
別に隠しとおすと言う気はないらしいのだが…。



…また3人きりになった。
祖母はやる事を求めてうろうろしているので
何も言わずやらせる事にする。

それから今日はあまり祖母に近づかない事にした。


祖母は一人でないと泣けないのだ。


私がうっかり近寄ってしまったとき
祖母は泣くのをこらえていた。
悪い事をしたと思った。



さて。

その頃の斎場では母が怒る様な出来事があったらしい。


葬式のあの行列の事なのだが…。

うちでやる場合
血縁で一番年若い者が杖を持つ。
魂が迷う事のないように案内役をするのだ。(確か)

曾祖母の時は私が杖を持ったらしい。
当時3歳なりたてで覚えてないけど。
祖父の時は当時5歳の従兄弟だった。

今回は杖自体なかったようだ。


お膳もなかったので母は行列に加わっていない。
喪主の妻がお膳を運ぶので。


今回のその行列。
甥っ子や姪っ子たちも加わったのだが。


それは姉の子供一人と、妹の子供のみ。
父の娘は誰も加わらなかった。



それを聞いた時はなぜ妹1にしなかったんだ?と思った。


私や妹2はちびっこいのがいるから
加わりたくても出来ないけど
妹1はそうではない。

それに一番最後まで叔父と一緒に生活していたのに。


列の不恰好さに何人かの人が批判もしていたようだ。



でも、喪主である父が決めた事だと知って納得した。


母は「やっぱり自分の兄弟の子の方がかわいいのかな」
と言っていたがそれは違う。


父は私の不在を誰にも聞かれたくなかったのだ。


妹1が並べば長姉はどうした?と聞かれる。
おかしいぞと噂される。

具合が悪くてこれないんだとか
祖母が心配だから残ってもらったんだとか
適当にかわせばいいことなのだけど…。
父にはそれが出来なかったんだろう。

そこは父の長所であり短所でもあるんだろう。


父は他人の批判をする人だ。
でも自分の身内を棚にあげる事は出来ない人だ。


私のことを聞かれたら
かばいたくてもかばえないだろうし
批判するにもしきれないだろう。



今回、弟の急死で大きなダメージをおったばかり。


これ以上の負担は背負いたくなかったんだろう。




父の奇行は私がさせた事なのだ。



叔父に感謝…。


この言葉の意味は
叔父が亡くなった事によって
私が家に帰る理由が出来た
と言う事らしい。


母もそう思ってるかは知らないが
妹たちはそう思って感謝しろと言う。


悪いけれどそういう意味では感謝できない。
父も絶対にそう思わないだろう。


叔父が亡くならなければ
こんな風にお披露目する事はなかった。
受け入れ態勢を作ろうとしている父に
この急展開は許容量を超えてしまったはずだ。

父が私を受け入れる課程で
どうしてもうるさく言う人の存在は消せない。
その時に叔父がいれば父の心的負担は軽減されていたはずだ。

私も無条件で受け入れてくれる人を失ったのだ。
その死に対してありがとうなんて言えない。


父が私を止めた理由は
たぁの事が原因ではなかった。

それを責めるつもりはない。


人にはそれぞれペースと言うものがある。





と、まぁ色々考えてしまいました訳です。

まーた、この子はうだうだ考えてるよ
って友人には言われそうなくらい。


今回家族の本音と言うか
性格とか見てしまって辛かったな。


例えば。

母はやっぱり気分やさんぽい。
八つ当たり半分で怒られるのはいややん。

父とは長期戦。
仕方ないよね、この場合。

妹1は母いわく優柔不断。
その性格でがんばれ中間子。

妹2は…。


私の苦手な叔母に性格が似てきた…。
本人に言ったら怒るだろうけど。


って言うか参列したお前ら全員に言いたい!

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長々お付き合いしてくださりありがとうございました。
明日の日付からまたいつもの日記です。

2002年08月18日(日)
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