たぁちゃん日記。
さな



 玉砕…。+移植2

あっ!と思った。忘れてました。
アイスデートダメだったんじゃ〜ん。結局。


友達の方からメール貰って
じゃぁ仕切りなおしはいつにしましょう?
と言っていたのにな〜。


まぁ、たぁも胃腸炎になってしまったし
流れてよかったのかも…。



その友人方面の仲間内で
最近ママになった子がいます。
女の子で可愛い名前でした。

おめでとぅ。


母乳で育児だそうで
「ミルク代かからないからいいね〜」とか
全然用意ができてなかったらしく
「産前に全部用意しといたつもりでも
買い忘れてるものってあるよね〜」とか
「子供を育てるのって大変だけど
嬉しい事もたくさんあるから」とか…。


彼女はどんな気持ちで私からのメールを読んだだろう?


子供もいないのにずいぶん知ったかぶったメールだな…


とか、思ってないだろうか?


だってね、産後って気持ちがささくれ立ちやすいし
色々やる事あって疲れてるようだったし
そこへ『子供のいないはずのさな』から
そんなメールがきたら???

と思った…。
まぁ大丈夫だろうけど。


で、アイスデートのはずの彼女、Sとは
Tの出産祝いでみんなで集まる…
と言う事にしてデートは完全にお流れにしました。


そのS…現在2人目妊娠中。
うらやましいなぁ…
と、チラッと思ったりしてるんですが。

「二人目も男の子みたいな気がする〜」
とメールしたところ…
「みんなそう言う。私は女の子がいいんだけどね」
と返ってきました。

あちゃぁ。気を悪くさせちゃったかしら?

だってね!妊娠中ってね、些細な事でも
いい加減言われすぎて腹立つ〜!って事もあるしね。


まぁいっか。

たぁ様のお披露目で全てチャラになるでしょう。

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妹2の妊娠の時、家族でトトカルチョ。
で、私の一人勝ちでした。
Tの所にも「女の子が産まれそう」って
葉書を送ってたのよん。



*移植の事 〜投薬〜 *

入院してしばらくは不安定な状態が続いていました。
医師にもどうなるかわからないと何度も言われていたようです。

家に残る私たちの耳には
この頃の事はあまり正確に伝わっていません。
子供に言う事ではないと判断したのか
そんな事を話す時間がなかったのか
命をつなぐ努力をする事で精一杯だったのか。
今となってはそれも定かではありません。

少し状態が落ち着いた頃
久しぶりに面会できる事になりました。
本来なら小児科病棟は子供立ち入り禁止なのですが。

個室だったから特別に面会させてもらえたんだと思います。

後に、何度も峠を迎えたと知った時に
私は思わず「もう危ないからあえたの?」
と聞いてしまいましたが、そうではなかったようです。


ある日、医師から投薬の話をされます。
従来のものではなく、新薬です。

それはまだまだ実験段階に近い物だと言う事でした。

それでよくなるかどうかはわからない。
けど、もうそれを試してみるしか道はない。


家族も医師も手探りの日々が始まりました。


今でこそ、その薬は一般に浸透してるようですが
(でもこの場合の一般って広い意味の一般じゃないけど)
当時はそれをどれくらい投与していいのかもわからず
一日にするとかなりの量をのんでいたようです。

どれくらい飲めば大丈夫なのか?
そのデータは妹が飲む事によって初めて出たのでしょう。


薬には当然副作用があります。

薬で病状が落ち着いたと思ってからしばらくして
今度はその副作用に悩まされる事になりました。


それは太りすぎてしまう事。


もともと小柄な妹。
骨の作りも私とは違い華奢で
太らない体質だったのですが
薬でブクブクと太っていきました。

そしてその結果、足の付け根の部分の骨が砕けてしまったのです。

季節は春だったと思います。
時間は夜の7時くらいだったか。
病院から仲のいい付き添い仲間の人が電話をしてくれて
仕事中だった母はそのまま病院へ駆けつけました。


その頃、小柄ながら人並みに成長期だった彼女。
砕けた骨が元に戻る頃には左右の足の長さが違っていました。
誰も気づく人はいませんが
それでもやっぱり歩き方はおかしいです。
(今現在は少し太ってしまう程度です<副作用)

薬を飲むことをやめる訳にもいかず
足も中々治りませんでした。


その後、12年間、入退院を繰り返しました。

人工透析をしていたのですが
その器具を取り替える手術が主に夏場。
(平気な人は全然取り替えないけど)
風邪を引けば解熱剤が使えないので入院。
一度入院すると2〜3ヶ月は帰ってきません。

妹の体はもうメスを入れる場所がないくらい傷だらけです。
もう切る場所がないと言われたそうです。
(一度切った所は再び切ると元に戻りにくいため)


この頃の負担は
完全に付き添う必要がないことや
私も運転が出来るようになった事もあり
軽減されていたと思います。


妹が入院して何年かたった頃には
私も人並みに家事をこなせるようになっていたし。
お菓子を作るのは好きだったけど
家事は好きになれませんでした。
「しなくてはならないもの」だったから。

でもって適当…。
教えてくれる人がいなかったから自己流なんですけど。
出かけに口頭で母が教えてくれるんだけど
全部教えきれないし、覚えきらないし。

レパートリーもなくて…
あんな適当な物を食べるしかなかった
妹や祖父母には悪いんですけど…。
※父は残り物だったし。汗

*** まだ続いちゃいます。汗 ***


2002年11月11日(月)
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