2002年03月30日(土)
昨日はネタがきちんとまとまらなかったので お休みさせていただきました。 書きたいことはいろいろあるのですが ネタとしてきちんと固まらないうちに書いてしまうと 読みづらくなってしまい、この日記を楽しみに 読んでくださっている皆さんに失礼だと思いますので これからもあたたかく見守っていただけると幸いです。
体調不良や不慮の事故などない以上は2日以上 更新を止めることはありませんのでこれからも よろしくお願いします。
では本題に入ります。
今までいろいろ書いてはきましたが、結局のところ 芸人自身がどこに重きを置き、何を目指すかで その芸人の将来が決まると思います。
どこに重きを置くかというのは、自分たちの笑いは どういうものなのかを明確にすることで つまり自分たちの笑いのスタイルを確立するということです。 例えば前にキングコングのところで書きましたが 彼らの笑いは西野の「間とテンポ」、梶原の「表情と動き」と きちんとポリシーが存在し、彼らはそれを磨き研究しています。
ロザンにしても学歴を武器にした知性あふれる笑いを 目指しているはずですし、ケンドーコバヤシにいたっては 邪道を武器に笑いを極めようとしているはずです。
しかし残念ながら全ての芸人がそうとは限らないのです。 前回フジワラを書きましたが彼らを中心としたコントグループには 今台頭してきている若手芸人たちとは一線を隔するものを 少なからず感じています。 つまりコントグループには笑いに対するポリシーがないのではないかと 思ってしまうわけです。
最近多くのテレビ番組で若手の芸人を見ることがあります。 M−1グランプリにしてもそうでしょう。 しかし関西で台頭してきている若手芸人を見ていくと、 全てが漫才師であるということが今日書いている内容の 裏づけになっているのではないかと思うのです。
芸人として笑いを目指すのならば、ポリシーを持ち どこを目指していくのかを自分の中で明確にし 努力研究を惜しまずにしなければ、行きつくところは 先が見えているといえるのではないでしょうか。
現在台頭してきているハリガネロック、ますだおかだを 筆頭とした若手漫才師がより高いところを目指しているのが これからのお笑いにとって救いであるということで 今日の日記を締めたいと思います。
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