今日、6月9日は日本のサッカー史に残る日となった。日本代表チームがWorld Cupという世界の晴れ舞台で初の勝利をおさめたのだ。
イギリス時間でロシア戦は昼の12時半からだったので、朝ごはんもそこそこ日本人の友人と待ち合わせて、街の大画面までこの対ロシア戦を観にいった。 出かける直前に村上龍氏のMMであるJMMから配信された文を読んでいて、とても共感を感じて出かけた。そのエッセイの中で、日本代表は日本国のなにかを象徴しているというようなことを言っていた。
正直、先日、韓国の試合を見て、同じアジアの共開催国として嬉しく思うと同時に、日本よりレベルが上だと感じ、危機感を覚え、なにか割り切れない焦りのような感情をもてあました。
今日の日本の試合には、私はかなり満足し、日本もサッカーの世界でここまできたのだという感慨をひとしお感じた。なぜ、人々がこんなにも自国の勝ち負けに一喜一憂するかというと、それぞれの代表が自分たちの象徴であると感じているからなのだろう。その国の代表チームはスポ−ツマナーから、人種のバラエティー、体格、言語など、多様性があり、そしてそれはどうしようもなく、時には政治よりも顕著にその国の国力を反映するのかもしれない。
それは、GDPや国債の格付けや失業率では量れない、その国の人々のバイタリティーというようなものを表しているような気がする。運に大きく左右されることの多いサッカーだが、それ以前に、そのチームのもつ戦略や積み上げてきた練習、試合経験など、普段からの実力養成の過程があってこそのラッキー・アンラッキーだろう。
日本の象徴である日本代表チームがワールドカップで勝つということは、日本人である私に、日本という国が世界の競合と同じ舞台で戦い、勝つ可能性を示唆し、それは日本人である私をどうしようもなく元気づける。 それは、日本がある意味成熟し、経済面で衰退しつつある今、その歴史の中で、経済面以外で国際競争力をつけてきたのではないか?というような可能性を提示しているからではないだろうか?
日本のサッカーファンにとっては、長い道のりだっただろう。でも、ワールドカップが本当に盛り上がるのはこれからなのだ。
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