日本に帰ってそうそう、もう数年出ていなかった喘息が起きかけた。 息も絶え絶え、友人の車で区役所に行き、保険証の更新を受け、 その足で近所の病院に行った。
薬を飲むと呼吸は楽になり、急に元気になったら眠気が襲ってきた。 家に帰って床に横になり、本を手にとる。すると眠気は醒め、しばし本を読んだ。
着いた早々から、須賀敦子全集を読み始めた。 須賀敦子の全集は去年、誕生日プレゼントに誰か買ってくれないかしら? と思っていたほど、私が欲しかったものであり。 今年の春に、母が買ったと聞いて、家に帰って読むのを楽しみにしていたものだ。
この一ヶ月くらい、自分の存在意義をどこに置けばいいのかとずっと悩んでいたこと、日本に帰って、日本はどうなってしまっているのだろう? と不安を感じたこと、そんな私の気持ちに対して、心に響く一節を彼女の文章にみたのでそれをここに紹介したい。
(中略)日本人は、自分たちの国が、世界のなかで確実に精神の後進国であることを真剣に考えずにはいられなくなった。いったい、何を忘れてきたのだろう、なにをないがしろにしてきたのだろうと、私たちは苦しい自問をくりかえしている。だが、答えは、たぶん、簡単にはみつからないだろう。強いていえば、この国では、手早い答えをみつけることが競争に勝つことだと、そんなくだらないことばかりに力を入れてきたのだから。 人が生きるのは、答えをみつけるためでもないし、だれかと、なにかと、競争するためなどではけっしてありえない。ひたすらそれぞれが信じる方向に向けて、じぶんを充実させる、そのことを、私たちは根本のところで忘れて走ってきたのではないだろうか。
(須賀敦子全集第4巻 砂のように眠る−むかし「戦後」という時代があった 解説より)
私が、あいまいに考えていたこと、イメージ的には持っていたけれど、うまく言語化できなかったことがここに、シンプルな文章で、まさにそのとおり!という感じに書かれている。
答えは簡単には見つからない。悩んでもがいていくこと自体が人生の時なのだと思う。
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