宮沢賢治の詩のゼミでのプレゼンが今日だったので、 どうにか資料と翻訳をしあげて、プレゼンに挑んだ。 直前3時間に夢中になってまとめたけれど、しっかり準備ができたとは言いづらく、ハラハラしながらも教室へ。
教授には 「訳の英文にはまだまだ問題はあるけれど。。。 強くこころを打つ美しい詩なので、続けて翻訳に取り組む価値はある。 よくやったね。」
他には、アフリカ人のクラスメイトから 「こういう家族や恋人を失う悲しみには、普遍的なものがある。世界のどこでも 感動を呼ぶよ」 ドイツ人からも「美しい詩だわ。私は気に入った。情景が目に浮かぶわ。」 との言葉をもらった。
賢治の詩自体が褒められたわけで、私は単に選んで訳しただけなのだが、 自分が好きな日本の詩を外国人が詩の良さを理解して感動する程度には イメージを伝えることができたようで、とても嬉しかった。
これこそが翻訳をすることの醍醐味なのかもしれない。
今度は誰を訳そうかしら? 他に好きな詩といえば、高村光太郎の「智恵子抄」なんかが好きなのだけれど、 「レモン哀歌」じゃあまりにも「永訣の朝」と似すぎている気もするし、 啄木はちょっと地味かと思うし、うーん、今度は女性ということで 与謝野晶子なんかいいかもしれないね。「君死にたもうことなかれ」とか。 でも、やっぱりあまり好みじゃないなあ。やはり、「智恵子抄」かな。
もし、これを訳してみたら?という提案があったらぜひメールください。
メールアドレス:cr7a−tkhs@asahi-net.or.jp
原文がこちら(イギリス)では手に入らない可能性があるので 原文のテキストがネット上で手に入るもしくは、原文をご存知のものでお願いします。
ハラハラしどおしのプレゼンが終わったら、夜は花火大会が大学のまわりであって、バンバンと爆音がなり響いていた。本日は、ハワード・ホークス・デイと言って、何十年か前に国会議事堂を爆破しようとして捕まった彼の記念ということで、イギリスでは花火を上げる慣わしになっている。 夜になってから、あまりにもバンバン・ボンボン爆音が鳴り響くので、気になって大学内で比較的高い建物の屋外階段に登って、あたりを見回してみたら、4ヶ所くらいで打ち上げ花火をしているのが見えた。180度近いパノラマに開けた視界の中で、遠くに四箇所くらい交代で花火が打ち上げられるので、あっち向いたり、こっちを向いたり、忙しい。
帰りに、道路に近い草の上で1人で花火見てたら、レンタカー会社のお兄さんが、わざわざ車止めて寄ってきて、「道に迷ったの?」と聞いてきたのには笑えた。 「ううん」というと、「本当に大丈夫なんだね?」と念を押してきたので、「大丈夫です」と言うと、「気をつけて」と言って去っていった。 親切な人もいるものですねー。
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