..いのちの勢力を自由に伸ばすのを妨げるすべての持ち物から抜け出すということはまことに難儀なことなのだ。
じぶんがただしいもの、善人であるなどとはゆめゆめ考えぬよう。
ひとをさばくことのないよう。ひとのうちには、善いところだけをみること。
もし、君の眼に光がやどっていれば、そのとどまるところ、ひかりしか見ぬはず。既成の意見から、流行のものの見方から、おまえの環境のなかでこねあげられたことばづかいから、じぶんをときはなて。
自分の行為の動機を、すなおな気持ちでさぐれ。じぶんで善いようにおもえるものまでも、よくしらべること。
じぶんは誰にもわかってもらえない、じぶんは犠牲者だなどとは考えぬよう。
自己のいやしい現実の姿と、おまえがじぶんでつくりあげた人物との歳をいつもはっきりとつかんでおくよう、忍耐をもって力をつくせ。
「..しかして汝は、水こぼるるオアシスのごとく、涸れることなき湧き水のごとくなり」(イザヤ書58−11)
(聖アヌンチャ−タ誌1959年第八号、ジョバンニ・ヴァンヌッチ師、自己の征服より 須賀敦子訳)
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