2003年06月09日(月) |
1人の贅沢、二人の幸福 |
昨日の日曜日、友達4人と車一台を動員して引越しを無事終了しました。 手伝ってくれた友人達に感謝。おかげであっという間に終わりました。
仲の良かったフラットメイトと離れてしまったのは悲しいが、このフラットはフレンドリーな感じの女性だけで、とても静かで、まず嫌な思いはしないで済みそう。 何よりも静かで、3階で(東京に住んでいるとたったの3階と思うかもしれないが、高層ビルの少ないイギリスのこの大学の寮は3階といえば最上階なのである)眺めも良い。
この寮でのはじめての食事を終えたあと、部屋の壁にお気に入りの絵画と写真のポスターを貼り、窓際にはベニスで買ったガラス細工の魚を飾り、遅い夕暮れの空を窓から眺めながら、グレングールドを聞き、この日記を書いている。
この静かさ、平和さ、窓の外の空の青。。。。幸せである。 それと同時にいつも人の気配のあるフラットに長く住んでいたせいか、少し淋しい。この平和で美しい空間をシェアできる相手がいないのが辛い。
人生ってなんなんだろう。金銭的な苦労や、衣食住の環境が悪いと愛する人がそばにいてくれても、不満を感じたり、ストレスが溜まったりしてしまう。愛だけでは生きていけないのだと思う。 しかし、こうやって、1人心やすらぐ環境に身を置き、幸福を感じていると、この幸福感をわけあえる人がいなければ、贅沢な環境も意味がないなと思ってしまう。
人生は短く、私のエネルギーは限られていて、できることはすくない。 何かをまっとうしようと思ったら、私は他のことを犠牲にしないとまずできない。 あれもこれもと言っていられるのは若い間だけで、もうすぐ30歳になる私は、もう、自分はどう生きるのか、何をするのか、決めなくてはいけない時期を終えようとしている。もう遅いくらいなのだ。
いつか私は今日のことを思い出すと思う。 30歳になる夏を控えた6月の夕暮れに、自分には幸せを分かち合える誰かが必要だと実感したこと。そして、自分がどう生きていくのか、とうとう決めなくてはと思ったこと。
人は愛だけでも、パンだけでも生きていけない。 私に必要なのは、自分が愛した人に、愛情以外の何かを与えることができるようになることだと留学前痛いほど思った。そして、そのためには留学して何かを得たいと思った。私は、好きな人に愛情以外の何かを提供することができるようになれるのだろうか? それは自分では考えたくないし、わからない。きっといつか、わかるだろう。
|