ふうこの英国留学日記-その後

2003年06月28日(土) Sex and the City


こんなに長く日記をサボっていたのも久しぶりだ。
自分の心の中でいろいろな出来事があって、ネガティブになっていたので
日記を書くことが出来なかった。

ネガティブなことだったら書けたかもしれないが、そういうことは
はっきり文章にしてしまうと肯定されてしまう気がして嫌だったのだと思う。

下らないことで悩み、煩わされる私を救ってくれたもの、
それは小説とTVドラマだった。
一つは「グレイト・ギャツビー」、そしてドラマとは「Sex and the city」
である。

共通点は両者ともNY近辺が舞台であることだけだが、きらびやかな都市生活の中で着飾ってパーティに集まる人々。そこで繰り広げられる友人、恋人との関係など、何か時代が変わっても変わらぬものがある気もする。

Sex and the City のほうは、今年30代に突入する自分を登場人物の30代で独身で働いている女性たちにかなり重ねてしまうところがあり、ドラマの中の独身女性4人の友情を羨ましく思いながら見ていた。
今年は、最も親しい友達の1人が海外で結婚してしまったこともあり、独身の友達が減って、今までのように一緒に過ごしたりできなくなると悲しいな
と思ったり。

ドラマを観て充実した独身生活には信用できる女友達が何よりも必要だとひしひしと感じた。そして、男性に関しては奔放なサマンサが病気になったときにキャリーにこんなことを言っていたのをなるほどと思った。
「世の中の男は二通りしかいない、女とセックスしたがる男と、女と手をつなごうとする男。私には、後者の男がいないのよ。」
セックスだけしたがる男は病気になった彼女の見舞いは来ない。。。

手をつなぐことは、二人の関係がおおっぴらで、しかも、それが周囲に恥じないもので、愛情を示すことに対して、モチベーションがないとできないのでは、と思う。私は、手をつないで歩ける男の人が自分にもできたらいいなと思った。

グレイト・ギャツビーの方は、男の女に関して抱く幻想に関して考えさせられた。
ギャツビーの愛したデイズィは、5年(!!)という彼女の不在の間に実際のディズィという女性からかけ離れたものになっていたと思う。だから、彼の恋が成就しないのは当たり前なのだ。彼の恋する女性像を現実の女性ディズィに重ねていたにすぎないのだから。

去年から私は恋愛は幻想だと思うようになった。。。
熱狂的な情熱はいつかは冷める。その情熱が冷めたときに、何が残るかが相手との
関係を決めるのだと思う。sex and the city の中にも、友情の方が恋愛より太く長く続くし、それを考えたら友達と結婚する方がいいのかも。。。ということをキャリーが考える回があった。自分の親や兄弟でない誰かと一緒に暮らすこと。。。
それが自分が心から恋する相手であったら嬉しいと思う、だが、同時に疲れるだろうなと思う。そして、恋に終わりにびくびくしてしまう自分に嫌気がさしてしまうかもしれない。

親友と一緒に暮らすこと。。。。を考えて見ると悪くはないなと思う。嬉しいこと、辛いこと、何かあったとき、家に帰って心許せて話せる相手がいる。料理が美味しく出来たら、それを分ける相手がいる。もし、それが気の合う異性だったら。。。きっとさらに楽しいと思う。でもそれは恋愛とは呼べないだろう。

私の中では友情も恋愛も結婚も今はよくわからない。どこまでがどっちで、どう関係しあうのか?

こんなことばかり考えてないで、勉強しなくては。















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