ソクーロフ監督の「エルミタージュ幻想」(原題 Russian Ark)を観た。
豪華絢爛な衣装や舞台装置が目をひく映画だが、この映画の面白さは案内役の 二人の掛け合いと映し出される名画たちにある。19世紀のフランス人外交官、キュースチンという設定の白髪の案内役の男性と、キャメラを目とする姿無き声(ソクーロフ監督自身の声)のやりとりはヨーロッパとロシアのインテリのロシア文化に対する批判と、愛情に満ちている。
キュースチンはエルミタージュ美術館の回廊でつぶやく。 それに姿無き声が応える。
素晴らしい。。。ここはバチカンか? ここにはイタリアンアートの素晴らしいコレクションがある。 だが、ラファエロはロシアにふさわしくはない。 ラファエロはイタリアのものだ。もっと温かい国のものだ。 ロシア人はコピーする才には長けている。
素晴らしいオーケストラだ。演奏しているのはヨーロッパ人だろう。 -いや彼らはロシア人だ。
美しいメロディーだ。作曲家は誰だ。 -XXだ。 ドイツ人か? -ロシア人だ。 音楽家はすべてドイツ人のはずだ。 -すべての音楽がドイツ人だって?
エル・グレコの名画「聖ペテロと聖パウロ」の絵にとりつかれたように 見入る青年にキュースチンが話しかける。 君はクリスチャンか? いいえ。 青年はいつか人々が彼らのようになれる日が来ると言う。 キュースチンは彼に詰めよる。 どうしてそんなことがわかるののだ? 福音書も読まない君に、彼らの苦悩がわかるといえるのか? 人々がどうなっていくか、どうして君にわかる? 青年はおびえる。。。だって、彼らの手を見て。。 彼らの手が美しいからか?
映画の終盤、19世紀ロシア帝国の宮廷舞踏会は終わりを告げ、 宮殿の出口に向かった姿泣き声は、エルミタージュ宮殿の ドアの外にグレーにけぶる荒れた海を見る。 我々はここからどこへもいけないのか? 私たちの見ていたのはエルミタージュの 中だけしか見れない失われた夢だったのか? ロシア帝国の幻影は永遠にこの宮殿に取り残され、現実の私たちは、ロシアの箱舟がどこへ向かっていくのか見えないでいる。
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