ふうこの英国留学日記-その後

2003年08月05日(火) Life is beautiful


小沢健二のシングルを集めたCDが発売されるという情報をネットで見つけた。
私は彼の曲が大好きだった。とくに「Life」と今度CDに収録されるという
全盛期のラブソングが。

「いつだって可笑しいほど誰もが誰か
愛し愛されて生きるのさ
それだけがただ僕らを悩める時にも
未来の世界へ連れてく」(愛し、愛されて生きるのさ より)

そうであって欲しいと思う。

昨日は、親しい友人の誕生日だったのだが、カードにこう書いた。

「自分の人生を、あなたがこれから出会う人たちを愛し、彼らからも愛されますように。そして、美しい人生を生きてください。」

これは、私の大叔母が母の結婚の時に手紙に書いていたセリフをもじったものだ。
美しい人生を。。。というのは私も母へのカードに書いていた言葉だったので、
世代が変わっても、私たちは同じようなことをいつも願っているのだなと感じた。

私の友人のイギリスでの友人の1人に、先天性の心臓疾患で、17歳の時に心臓の大手術をして助かったという人がいる。彼はその手術が成功するまで人並みに運動もできず、自分が何歳まで生きられるのか、と常に考えていたそうだ。そして、18歳手術が成功し、人並みの運動を許されるようになった彼の生活は一変し、死を近くに感じ続けていた彼は哲学とバイオテクノロジーを専攻に選んだ。
大学に入ってからは今までの分を取り戻すかのように人一倍活動的な人間になったと言っていた。

中国人の友達が言っていた。。僕があと半年生まれるのが遅かったら、一人っ子政策が厳しくなったときだったから、僕の親は僕を中絶してたと思う。そしたら、ここにいて、君に会うことはなかったね。

生きていることは当たり前ではなくて、私たちは様々な危険や障害、不運をすり抜けてここにいる。そして、誰かと出会って、友達になったり、愛し合ったりする。
そんなことをふと実感する。

生きてさえいてくれればいい。。。と誰かのことを思う。
でも、人の生活は単に生きていればそれでいいというものではない。
死んでしまいたいと思うほど、辛いことって人生にあると思う。
でも、絶望に近づいた人間ほど逆に生きたいという自分の意志に気付かされる
ことが多いのではないか。

ときどき、生きて自分でこうして、行動して、感じて、考えることができることが
とてつもなく貴重な瞬間であることに気付く。当たり前のことが当たり前でない。
すべては過ぎていってしまうけど、その何かと触れ合って感じることができた瞬間の喜び。それはとてつもない。

やっぱり、「愛し、愛されて生きる」しかないんだと思う。



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