| 2003年08月01日(金) |
Grapevineな女 |
最近、ベトナム系アメリカ人の友達ができて、何人かで男女関係について はなしていたところ。。。彼が Grapevineな女の子という言い方をしたので えっつ?と思って。どういう意味と聞いてみると、グレイプバインはぶどうのつるという意味で、彼は男に依存してしまう女性のことをそれ自体では立つことのできないぶどうのつるにたとえていたのであった。
うーん、これはなるほどと思った。 他の大きな木の幹にからみついてしか、高いところにいけないぶどうのつる。 女性の人生は相手の男性次第で変わってしまうのだろうか?彼は、お金持ちや社会的ステイタスの高い男性を得て、いい暮らしを得ようとする女性もある意味Grapevineな女かもと言っていた。彼はそういう女性もいてもいいし、現にそうして 幸せになっている人はいっぱいいると言っていたが、私は自分はGrapeivineな女にはなりたくないと思った。
たぶん、妬みもあるのだろう。世の中には良いパートナーを得、それをきっかけに 人生をステップアップする女性も大勢いる。私のイメージではそういう女性は才色兼備で、育ちもよく、(簡単にいうとエレガントな美人?)自分がそれに値すると信じているタイプの女性だと思えて仕方がない。自分が、そういうタイプではないこととを踏まえて、まず、楽はできないだろうというところから始まっているので、簡単にはいえない。美しく着飾って、地位も資産もあるような男性の伴侶をするのもそれなりに大変だろうし、そういうふうに生きられる人はそうすればいいんだと思う。
きっと何も思い決める必要はないんだろう。ただ、自分の幹で立たない、つるであることは何だか不安で、たよりなくて、細くてもいいから、フラフラしてもいいから、自分の幹を持つ女性になりたいと思うのだ。 台風が来たら、大木にからみつくつるは無事でも、細い苗木はすぐに倒れてしまうかもしれない。つるをうらやましく思うこともあるだろう。でも、自分で根をはって、幹を立つことができたら。。。どんなに心強く感じることだろう。
私は怖い。1人で立とうとしたときに、嵐がきて立ち上がれなくなることが。 1人で立とうとすることと、誰かを強く求めることは矛盾していると思っていたが きっとそうではないのだ。私は嵐の時に、踏ん張れる強さを持つために誰かが必要なのだと今は思う。
こうやって、考えてみると、私は今まで何度倒れそうになったときに、家族、友人に助けられてきたことだろう!と改めて思う。 この場を借りて、お礼を言いたいです。実際的なことから、すごく精神的なことまで、私は本当に支えられてきたと思う。願わくば、せっかく支えてもらってきたのだから、この私の細い幹が、無事根を張って生きていけますように。。。
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