ふうこの英国留学日記-その後

2004年01月16日(金) 金曜の夜は本屋に寄って


映画と双璧をなして私の精神生活を支えているのは活字である。
趣味が読書などと高尚なことを言うつもりはない。
「戦争と平和」は20ページで飽きあきしてしまうし、「赤と黒」も完読できなかった私だ。
しかし、5分の待ち時間でも「なにか印刷された文字」を読んでいないとソワソワしてしまうのだ。もう、いざとなったらなんでもいい。
松尾スズキがエッセイの中で、活字中毒で手持ち無沙汰なときは財布の中の領収書やレシートまで取り出して読んでしまうと書いてあったが、私もその口だ。以前、何も読むものを持たずに電車に乗ってしまって、自分の手帳を開いて今までの自分のスケジュールやメモしたことを読んだりした。あまり、思い出したくないこともあり、自分の人生を振り返るより他人が語ってくれる物語や雑文を読むほうがどんなに気が楽か!と痛感したので、以後自分の手帳を読まなくてはいけない事態はできるだけ避けるようにしている。

電車の中で読むものがないからと言って、駅の売店であまり読みたくもない雑誌や文庫本を買い、往復の電車で読みきり、自宅の最寄り駅のリサイクルボックスに毎日のように捨てて帰るのが私の日常だ。
500円の雑誌や文庫本でも週5日で2500円。一ヶ月で10000円も使う計算になる。きわめて不経済である。こうして私の頭のなかにはどうでもいいような情報ばかりが増えていき、肝心な名作は未読のまま本棚で眠っているのだ。第一、通勤電車で単行本を読むことに無理がある。それに、私は小説を読み始めると没頭してしまい、電車を乗り過ごしたり、忘れ物をしたりしてしまうので、小説は通勤電車で読むには不適当なのである。

というわけで、金曜の夜は週末から来週にかけて読む新しい本を購入すべく本屋に寄ることが多い。駅の売店ではろくな本が手に入らないので、時間のあるときに、じっくり吟味し買っておこうというわけだ。

今日も本屋に寄って文庫本と雑誌を合わせて3000円ほど買う。

最近読んだ作家は、中島らも、松尾スズキ、東野圭吾、江くに香織、藤堂志津子、桐野夏生、小池真理子などなど。大好きな作家だけは単行本でも買うが、日常的には気になる作品でも文庫本になるのを待ち、なるしりから読んいく。しかし、待ちきれなくて単行本で買った作品がすぐに文庫になっているとなんだか損をしたような気持ちになる。

それでは、今夜、風邪気味の私はさっさと布団に入って本を読んで寝ます。


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