ふうこの英国留学日記-その後

2004年02月18日(水) おばあちゃんへ

私の祖母が月曜の夜に亡くなった。
都内にある私の実家で自宅介護をしていたので、祖母のことはこの9ヶ月間我が家最大の懸案事項だった。

完全に寝たきりになって、完全介護を必要とする状態が8ヶ月続き、何度も根をあげそうになった母は結局最期まで祖母のそばにいて彼女を看取った。それを姉も支え続けた。そしておばあちゃんは逝ってしまった。

棺の中で干からびて小さくなって、祖母の顔からは苦痛が去り、世にも美しい死に顔だった。清廉な感じさえ漂っていた。その小さくなった祖母の体の回りをみんなで何十種類もの花々で埋め尽くした。色鮮やかな花々に囲まれた彼女は決して淋しそうには見えなかった。

私と祖母はあまり相性が良くなく、祖母はいつも姉の方を可愛がっていた。私は祖母から多くのことを学んだ。孫だからといって平等に可愛られるということはないこと。でも、私はそのことに気づきながらも祖母を恨んだことはなかった。人には相性というものがある。それは仕方ない。
それでも、祖母は私にとってのたった一人の祖母だったし、(父方の祖母は私が生まれる前に亡くなっていたので)、私の中で「おばあちゃん」といえばその言葉が指すのは彼女しかいなかった。

小さい頃、祖母から突然届く小包を開けるときはいつもわくわくした。
そこには、家の近所では目にしないお菓子や、食べ物、そして祖母の家の匂いがした。
夏休みに大阪の祖母に家に行くのが我が家でいうところの「帰省」だった。
子供のころ、うちにはエアコンがなかったので、祖母の家でお風呂あがりに姉と裸でエアコンの涼しい風にあたるのがとても物珍しく、その前で冷風を奪い合った。
そして夜はエアコンでしくなったその6畳間で私と姉、母、祖母の四人でふとんをびっしりと敷き詰めて一緒に寝た。

納棺された祖母にお線香をたてて手を合わせながら祈った。

今日まで私には「おばあちゃん」がいたけど、今日から私は「おばあちゃん」無しで生きていくんだね。辛いこともいっぱいあったと思うけど、今はすべての苦痛から開放されて、ただ安らかに眠ってください。
おばあちゃんがしてくれたこと、忘れずにいたいと思います。

そんなに特別仲が良かったわけでもなく、可愛がられたわけでもない。でも、あなたはまぎれもなく私の母の母で、私はあなたの影響を、血をこの体に強く感じています。私たちはつながっていたんだなと思う。そして、あなたは今遠くに行ってしまった。
ほとんど何もしてあげられなかったけど、あなたの存在は、私の人生に「おばあちゃん」としてとても大きな存在でした。

いろいろありがとう。お疲れさま。
そして、さようなら。


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