女の世紀を旅する
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2004年05月30日(日) 国連平和主義という名の幻想

《 国連平和主義という名の幻想 》
                2004/05/30





今なお,多くの日本人は国連中心の「平和主義」を金科玉条のように語っているが,実のところ,戦後の国連の軌跡を知らないで,そう語っているのである。

伊勢雅臣氏は平和ボケ国家・日本が国連に抱くイメージは幻想にすぎないと指摘している。以下は同氏の「国連平和主義の危険」を説いた文である。国連の実態をもっと直視すれば,内実はとても平和主義どころではない,国家エゴのぶつかり合いの場という真実が透けてくるのである。





● 1.「国連中心主義で世界の平和を守ります」

国連とは恒久的な世界平和を目指す崇高な機関と考えている人がわが国には多い。たとえば1980年に出版した「非武装中立論」の中で日本社会党書記長・石橋政嗣氏は、こう主張した。

「(日本など)各国の安全保障はあげて国連の手にゆだねることがもっとも望ましい。公正な国際紛争処理機関として国連に強力な警察機能を持たせるべきだ。国連は自ら非武装たることを宣言した日本国憲法にとっては、不可分の前提であるべきだ。」

最近でも、民主党は2003年の総選挙で「国連中心主義で世界の平和を守ります」との政権公約を掲げた。

しかし国連とはそれほど頼りになる存在なのだろうか。たとえば、こんな事実がある。

2003年4月10日、国連人権委員会において、欧州連合(EU)が北朝鮮の人権弾圧を非難する決議案を提案した。決議案では、服役囚への拷問や強制労働、言論、結社、女性の基本的自由の侵害に関して、北朝鮮を非難し、同時に日本人拉致事件の全面解決も要求した。

このまっとうな決議案に反対するのは北朝鮮ぐらいなものだというのが、日本人の常識だろう。ところが、たしかに決議案は採択されたものの、賛成したのは委員会加盟の53カ国の半分ほどの28カ国に過ぎなかった。中国、ロシア、ベトナム、キューバ、マレーシアなど10カ国が反対票を投じた。インド、パキスタン、タイなど14カ国が棄権し、韓国の代表は投票のためのボタンを押さずに欠席と見なされた。中国の代表などは、「北朝鮮がすでに多数の諸国と対話を始めた」とか「決議の採択は朝鮮半島の緊迫を高める」などと、とうとうと反対演説をぶった。



●2.なぜこんなに反対国、棄権国が多かったのか?

産経新聞はこの件をこう論じた。

「そもそも、なぜこんなに反対国、棄権国が多かったのか。外務省は「人権委の大半の国が国内に人権問題を抱えており、他国を非難すると自国に累が及ぶ。また、今回の決議は欧州連合(EU)提出だが、途上国は旧宗主国である欧米の価値観による決議には自動的に『ノー』となる」(幹部)と説明する。中国は天安門事件やチベット問題、ロシアはチェチェン問題を抱えているというわけだ。」

ただ、外務省も手をこまねいてみていたわけではないという。外務省やEUの見立てでは今回の決議の賛否は当初拮抗(きつこう)しており、採決に持ち込むため「国別に細かい作戦を立てた」(外務省幹部)。

具体的な外交努力としてはジュネーブや相手国首都で賛成を働きかけ、「七、八カ国が賛成に回った。普段は反対票を投じる国が棄権に回った」(外交筋)との見方もある。説得の際、ODA見直しに具体的に言及したケースもある
という。

ODAを餌に「賛成を働きかけ」なかったら、「賛否は当初拮抗して」いたので、否決された恐れもあったのである。こうしてようやく成立した非難決議も、通常、会期中に百件前後、提出される決議案の一つに過ぎない。

その後、人権委員会の作業部会では横田めぐみさんの母、早紀江さんが証言したり、曽我ひとみさんの手紙が代読された。それでも本年4月17日に2回目の北朝鮮非難決議が採択された時も賛成29、反対8、棄権16で、賛成が1票増え、反対が2票減ったに過ぎない。北朝鮮の人権問題を調査する特別報告者の任命も初めて盛りこまれたが、北朝鮮は従来からそうした特別報告者の受け入れを拒んでいるので、実現は期待薄である。



●3.人権委員会は人権問題に貢献できるのか?

以上の経過から浮かび上がってくる人権委員会の実像とは:

★中国やロシアなど多くの参加国は、自国内の人権問題に波及しかねない決議には反対する。
★そのためには、北朝鮮国民の悲惨な人権状況にも、日本人拉致という明確な人権侵害にも、非難の声をあげない。
★たとえ非難決議が採択されたとしても、ほとんど実効を持たない。

こんな人権委員会が、はたして拉致問題の解決、いや広くは世界の人権問題の解決にいささかでも貢献できるのだろうか?53カ国もの国々から多くの代表が集まってこの有様では、壮大な費用と時間のムダとしか言えないのではないか?

しかし、これは人権委員会だけの問題ではない。そもそも国連の中心的機関たる安全保障理事会ですら、その実態は同様なのである。



●4.北朝鮮ミサイルへの非難決議案

1998年8月、北朝鮮がテポドン・ミサイルを日本列島越しに発射した。衝撃を受けた日本はすぐに国連安全保障理事会に北朝鮮非難の決議を出そうとした。この時、日本は安保理の非常任理事国を務めていた。

だが中国が強い抵抗を示し、安保理での非難採択はおろか、提出すらもできずに終わった。北朝鮮に対しては安保理議長の報道陣向け声明というほとんど意味のない意思表示となった。


中国自身も、96年の台湾での民主選挙の際にミサイル発射による威嚇を行った前科があり、北朝鮮への非難決議を許すことは自分の首を絞めることになるので賛成するはずもない。中国は安保理の常任理事国である。常任理事国の一カ国でも拒否したら、いかなる決議も成り立たない。したがって、常任理事国が関与する行為に対しては、国連はまったく無力なのだ。



●5.国連は戦争を防いできたか

その最大例は1956年のソ連軍のハンガリー侵攻(ハンガリー動乱)だといえる。

非スターリン化、自由化を進めたハンガリーの国民は親ソ連当局への反乱を起こし、共産圏離脱までを求めた。だが介入してきたソ連の大軍に鎮圧された。この間、ハンガリー国民代表は国連への訴えをつづけたが、国連はソ連の拒否権で動けなかった。

1978年12月にベトナム社会主義共和国の大部隊がカンボジアに侵攻し、共産主義ポル・ポト派の「民主カンボジア」政権を首都プノンペンから撃退し、親ベトナムのヘン・サムリン政権を樹立する。「民主カンプチア」は国連安保理にベトナム軍撤退の提訴をするが、ソ連の拒否権にあう。79年2月、中国がベトナムへの「懲罰」と称して、大軍をベトナム領内に侵攻させる(中越戦争)。このときも国連はなにも行動をとることができなかった。

※(註) ポル・ポトは毛沢東主義者として知られ,文化大革命のマネをして子供たちを使ってカンボジア市民200万以上を虐殺。中国はポル・ポト派を支援していたため,1979年2月,ベトナム軍のカンボジア侵攻を牽制するため,中越戦争をおこした。当時,ソ連はベトナムを支援していた。


こうして見ると、国連は戦後の大規模な戦争にはまったく無力であったことが分かる。唯一の例外は朝鮮戦争で、この時、米軍を主体とする16カ国が「国連軍」を編成して、北朝鮮と戦った。これは中国が台湾に替わって常任理事国になる前であり、またソ連がこの問題に絡んで安保理をボイコットしていた、という偶然の賜(たまもの)であった。

仮に、北朝鮮が中国の秘密の了解を得た上で、日本に対して、ゲリラ戦でも仕掛けてきたら、日本がいくら国連に訴えても、国連安保理は中国の拒否権で何も動きがとれない。そういう仕組みになっているのである。



●6.カモにされ、コケにされ続ける日本

2002年までの4年間、日本政府を代表する国連大使を務めた佐藤行雄氏はこう語る。

「 国連の現場を経験した人間として日本で抱かれている国連のイメージが国連の現実からあまりにかけ離れていることを強調したい。日本で唱えられている国連中心主義というのは一体、なんなのだろうと考えさせられる。」

佐藤氏は「国連の現場」について次のような実体験を紹介している。

「2001年12月、タリバン政権崩壊後のアフガニスタンに国際治安部隊を送ることについての安保理決議案を突然、みせられた。翌朝に採択されるというその決議案は、治安部隊の経費を国連加盟国が分担する通常予算からではなく、治安部隊に兵力を送らない国からの自発的拠出にする、としていた。当然、日本が最大の対象だった。」

「部隊を出さない国にとくに多額の経費を分担させるという方式は国連でも前例がない。安保理の常任理事国イギリスとフランスの勝手な提案だった。佐藤大使は衝撃を受け、八方に手を打って、なんとか阻止をしたという。

日本があやうくカモにされそうになったという話だが、コケにされたというケースもある。

1999年9月、独立が確実となった東ティモールの指導者グスマン氏を招いての安保理公開討議でも日本代表の演説が決まっていた。だが会議が長引き、肝心のグスマン氏はアナン国連事務総長との昼食のために議場を離れてしまった。その結果、東ティモールの復興に最大の貢献をする日本代表の佐藤国連大使は、空席に向かって演説をする羽目になった。佐藤氏は怒り心頭に発して、議長に抗議したという。


こういう中で十数年も国連に勤務したある日本人職員は、自分の仕事についてこう語った。

「同じ海外にいても日本製の電気製品を日本企業のために売っていた方がいまの仕事より充実感を得られるのではないかと最近、思うようになった。国家、民族あっての個人、日本あっての自分ということを長い国連生活の末に初めて痛感するようになった。当初は国連の理想に共鳴し、真の国際人になろう、日本だけが国ではないと決意したのだが」



●7.国連を舞台にした不正

「国連の現場」での最悪のケースをご紹介しよう。イラクの「石油食料交換プログラム」にまつわる不正である。

イラクは国連決議が求めた大量破壊兵器の破棄を履行しなかったため、国連から石油の輸出禁止などの経済制裁を受けた。石油収入を失ったイラク経済は悪化し、国民の飢餓や病気がひどくなったため、国連はフセイン政権に石油を売った代金を食料や医薬品に用途を限って使わせるという「石油食料交換プログラム」を1996年に始めた。

このプログラムによって、フセイン政権はその崩壊までの7年間で総額640億ドルの代金を得た。そのうちクウェート侵攻での被害者への補償に260億ドル、食料輸入などに245億ドルが使われたが、残りの140億ドル近くの資金がどこかへ消えてしまっていた。

消えた資金はフセイン政権や国連関係者だけでなくフランス、ロシア、中国の関連企業にも流れたことが、米国上院への会計検査院の報告などで明らかにされた。

ルーガー(上院外交委員会)委員長はこうした証言を受ける形で、「この大規模な腐敗はフセイン政権当局者だけでなく国連の関係職員や国連安全保障理事会で同プログラムの設置と運営に関与したロシア、フランス、中国などの不正直、不注意、我欲から生じた」と指摘するとともに、とくに深刻なのはもしフセイン政権が打倒された場合に同プログラムの不正が暴露されるのを恐れたことが中国、フランス、ロシアの各国が米英両国のイラク攻撃に反対した理由の一部になったことだ」と強調した。



●8.国連中心主義の危険

冒頭の石橋氏が主張したような国連中心主義は、国連の実態を無視した空想であるだけでなく、政治思想としても問題がある。大著「歴史の終わり」を著した米国の国際政治・歴史学者フランシス=フクヤマは、国連の開発途上国支援活動などは評価しつつも、その政治的正当性について、こう述べている。

「 アメリカ国民の大多数は保守もリベラルも、人間集団に対し権力、権限を行使できる唯一の存在は民主的手段で選ばれた政府だけだと固く信じている。民主的選挙で生まれた政府に代表される主権国家こそが正当なパワーを有する機関であり、世界秩序も国際パワー政治もそうした主権国家に従属するという考え方だ。国連が主権国家の正当なパワーを奪うという印象があれば、アメリカ人は激しく反発することになる。」

フクヤマが述べたように、民主的選挙に基づく主権国家こそ正当な政治権力を持つ、という民主主義の前提から見れば、国連は民主的選挙という基盤を欠いている事に気がつく。

現に、半世紀以上前の戦争に勝ったという理由で常任理事国になった国が、いまだに自らの気に入らない決議案はことごとく拒否できるという絶対的なパワーを持つことは、およそ非民主主義的である。

前述の佐藤氏も「国連中心主義」の危険をこう指摘する。

「 国連中心主義というのが、日本の国益にかかわる問題についての判断を国連にゆだねるということならば、危険きわまりない。日本には自国の国益のために国連を使用するという視点が欠けている。国連を神聖視したような議論には心から危惧の念を覚える。」

日本は国連の通常予算総額の20%近くを分担している。英仏露中の常任理事国4カ国合計でも14%にしかすぎない。特に1.2%のロシア、1.5%の中国とは10倍以上の開きがある。

国連が各国のエゴがぶつかりあうドロドロした場である、という実態を知らずに、日本国民はこれだけの血税をつぎ込んでいる。国連をもっと国際社会で役に立つ存在にするためにも、我々自身が国連幻想から目覚めて、その実態を見つめる所から始める必要がある。


カルメンチャキ |MAIL

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