女の世紀を旅する
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2004年06月15日(火) |
死せるレーガン,生けるケリーを走らす |
レーガン元大統領逝去.
★【ワシントン5日共同】旧ソ連との本格的軍縮と冷戦終結に道を開いた米国の第40代大統領ロナルド・レーガン氏が6月5日午後(日本時間6日未明)、カリフォルニア州の自宅で肺炎のため死去した。93歳だった。アルツハイマー病を患い、自宅で長期療養中だった。 保守主義に基づく「強いアメリカ」の象徴として1981〜89年までの2期8年を全うした。楽観主義を振りまき,その政治手腕は「グレート・コミュニケーター(偉大なる対話者)」と呼ばれ、引退後も高い人気を維持してきた。 ブッシュ大統領は5日、訪問先のパリで「米国を回復させ、世界を救った偉大な米国人が去った」と弔意を示した。ワシントンで国葬が営まれるが、日程は未定。 レーガン氏はハリウッドの映画俳優から政界に転身。カリフォルニア州知事を経て、1980年11月の大統領選で共和党から出馬。現職のカーター大統領(民主党)を破って当選、史上最高齢の69歳で大統領に就任した。
保守主義の復活を先導し、長期にわたって米国の政治・経済の展望を変革。「レーガン革命」と呼ばれるこの政策は、現職のブッシュ大統領をはじめ、現在活躍している大勢の政治家に影響を与えた。 また、平和時の国防費を1兆ドルに引き上げ、国家債務を倍増させた。旧ソ連を「悪の帝国」と批判、戦略防衛構想(SDI)に着手する一方、ソ連のゴルバチョフ書記長(当時)と5回会談するなどして冷戦終結に尽力した。 1986年11月、イランへの武器売却益がニカラグアの反政府勢力に流れていた「イラン・コントラ事件」が発覚し、政治生命で最大の危機に直面した。 1994年からアルツハイマー病を患い、カリフォルニア州の自宅で療養していた。 ホワイトハウスは「レーガン氏の死は、米国にとって悲しみの日となった」との声明を発表。ブッシュ米大統領やサッチャー元英首相や中曽根康弘・元首相らも哀悼の意を表した。(ロイター)
レーガン元大統領の死去から葬儀の期間、各国指導者の賛辞があふれた。冷戦勝利の立役者として元大統領の存在が大きくクローズアップされた。同時に、テロ戦争の指導者、ブッシュ現大統領の頼りなさも浮き彫りになった。一方、民主党のケリー候補はこの間、選挙運動を中止、姿を消した。同候補はレーガン政権最大の危機、イラン・コントラ事件を追及した元大統領の宿敵。今メディアの前に出るのは不利と考えたようだ。
●レーガン人気便乗をねらうブッシュ現大統領
レーガン元大統領が死去したのが6月5日。それから葬儀までの1週間、米国はじめ各国指導者からの追悼と賛辞があふれた。
賞賛の第一は、「強いアメリカ」を掲げ、冷戦を勝利に導いたこと。
第二は、「小さな政府」を目指し、大幅減税、規制緩和で90年代の好景気をもたらす基礎を築いたことだ。
双方とも任期中には結果がでなかったが、冷戦勝利はブッシュ(父)政権時代に達成、好景気はクリントン政権時代に開花した。その結果、退陣後もレーガン人気は高く、死去で一層盛り上がっている。
葬儀では、サッチャー英元首相、ブッシュ(父)元大統領、ブッシュ現大統領、カナダのマルルーニー元首相らが弔辞を読んだが、それは同時に各指導者がレーガンとその時代をいかに認識しているか、各人が見識を競う場ともなった。サッチャー元英首相は「(レーガン)は一発も弾を撃たず、敵を要塞から誘い出し、友達になった」と冷戦勝利についてユーモアをまじえた賛辞を送った。また、ブッシュ(父)元大統領は副大統領として過ごした8年間を語ったが、その謙虚な内容も多くの共感を呼んだ。
これらに較べ、ブッシュ現大統領は、レーガン人気に便乗しようとする思惑がありありだった。現大統領がレーガン元大統領を政治的師としていることは、元大統領がソ連を「悪の帝国」と呼んだのにならって、イラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と決め付けたことでもわかる。レーガンの冷戦は、ブッシュのテロ戦争と同じであり、その一方で大幅減税をするのも同じだ。弔辞でも、ブッシュ現大統領はこのアナロジーをもとに、「レーガンは結果について楽観的だった」と強調。元大統領が冷戦、景気の双方で結果を出したのと同様、自分も結果を出すとの自信をみせた。だが、イラクの現状などをみれば、にわかにそれを信ずるのは難しい。
●「死せるレーガン,生けるケリーを走らす」
一方、民主党のケリー候補はレーガン元大統領の死去のあと、葬儀が終わるまで大統領選挙運動を中止、公式の場から姿を消した。長女の卒業式への出席を理由に国葬にも参列しなかった。予定していたアリゾナ州、ペンシルベニア州、オハイオ州などへの遊説を中止。ロサンゼルスのディズニー・コンサートホールや、ニューヨーク・ラジオシティのイベントなども中止した。これには、バーバラ・ストレイサンド、ニール・ダイアモンドなど有名アーティストが参加し、高額の有料切符を売って数百万ドルの選挙資金を集める予定だった。中止は資金面での目算も狂わせることになりそうだという。
ケリー候補は6月10日付けのロサンゼルス・タイムズの世論調査では、ブッシュ大統領に51対44と7%の差をつけてリードの幅を広げた。調査したのが、5日から8日までの4日間で、レーガン死去の影響が織り込まれているかどうか不明の点もある。しかし、イラク刑務所での虐待事件、一向に改善しない治安など、イラク情勢がブッシュ大統領の支持率をむしばみ、有権者がケリー候補に流れ始めたことがわかる。ケリー候補にとっては、ここで支持を固めるチャンスのはずだが、同候補は運動停止をして姿を隠してしまった。
ケリー選対の関係者は運動を停止した理由として、有権者は葬儀に目を奪われ、選挙には関心を払わないと判断したと説明している。しかし、ケリー候補はかつてレーガン政権最大の危機、イラン・コントラ事件を追及してレーガン元大統領を窮地に立たせたことがあり、メディアがこれを取り上げるのは必至。それを避けて身を隠したのではないかとの憶測もある。
一方で、ブッシュ大統領はこの間、6日のフランス・ノルマンディーの上陸作戦60周年式典、8日からのシーアイランド・サミットなど、米大統領を主役とするイベントに参加。機会を捕らえては、レーガンの偉大さを賞賛し、同時にそれに自分を重ね合わせる演出を忘れなかった。国連で安保理が懸案のイラク新決議を満場一致で採択したこともブッシュ陣営には朗報だった。これらが、ケリー候補の支持の上向き傾向に歯止めをかけるかが今後の関心事となった。
●暴露されたマケイン共和党上院議員の副大統領構想
もう一つ、葬儀の日、AP通信がケリー候補は共和党のマケイン上院議員に副大統領候補の受諾を打診、断られたと報じるハプニングもあった。同上院議員は4年前の大統領選挙で、ブッシュ大統領と共和党候補の座を最後まで争った有力議員。その共和党有力議員が民主党の副大統領候補になるということは常識では考えられない。だが、ケリー候補ならあり得るとして、前から予想する向きもあった。打診だけに終わったようだが、この影響は今後に深刻な尾をひきかねない。葬儀の日、ケリー候補が運動を中止している時に、AP通信がスクープとして報じたことをみても、背後に政治的影響を計算して情報を流した関係者がいる可能性があるからだ。
AP通信によれば、マケイン議員に対する打診は先月まで数回にわたって非公式に行われた。ケリー候補とマケイン議員は91年、ベトナム戦争で行方不明になった米兵の調査をする上院特別委員会の委員長と上席委員として一緒に仕事をして以来の親友。両議員ともベトナム戦争従軍経験者で、党内では一匹狼として通っている。だが、政治思想は、ケリー候補がケネディ元大統領を崇拝するリベラル派なのに対し、マケイン上院議員は強硬保守派。4年前の大統領選挙では、ネオコン(新保守派)・グループが支持者に名を連ねていた。同上院議員はこのように考えの違う2人が正副大統領になれば、ホワイトハウスが機能しなくなると主張、ケリー候補の申し出を断ったという。
民主党は7月26日から党大会を開催して正副大統領候補を正式に指名する。ケリー候補はその時までに副大統領候補を決めなければならないが、選考は進んでいない。そんな時、ケリー候補が共和党上院議員に白羽の矢を立てたことが暴露されたのだ。今後、誰を副大統領候補に選んでも、2番手、3番手の候補と思われかねない。もともと、ケリー候補は一匹オオカミ的な行動ともに、私生活でも、カトリック教徒でありながら離婚して再婚をし、教会との関係も良くない。それに、今度の副大統領選びの失点が重なれば、今後の党内の結束に響くことも考えられる。レーガン元大統領の死去は、ケリー候補にとってより厳しい影響を残したと言えそうだ。
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