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「槞梛俚庵(るなりあむ)


時折綴

2003年07月16日(水) 心の闇

長崎の幼児殺害事件は、神戸の連続児童殺傷事件を思い起こさせるような、12歳の中学生の犯罪でした。
なんだかこの事件が起きたときから、未成年の子の犯罪のような気がして
成り行きをずっと見つめてきました。
何も変わった様子を見せずに、逮捕された当日も授業を受けようとしていたと
聞くから、なんだかとてもやりきれなくなってしまいます。

14歳〜19歳までの未成年は、人口の7%しかいないのだそうです。
そして検挙された犯罪の40%は、この未成年者が起こした事件だそうです。
増加の一途をたどる未成年者の犯罪、わたしにも高校生の娘がいるから
何故、何がこの世代の子たちを暴力に駆り立てているんだろう… と
考えてしまいます。

だけど―――

犯罪を犯した子がゲームが好きだったと聞けば、ゲームが悪い
マンガが好きだったと聞けば、マンガがいけない
世間はすぐに、こう批判するでしょ?
ホントにそうなのかな。

この情報化社会の中に生きている以上、悪影響を及ぼす情報も
いっぱい入ってきますね。
それらをシャットアウトして子育てをするのは不可能ですよね。
だから大切なことは、子供が興味を示しているものを一緒に見て、
「これはこうじゃないかな。どう思う?」って話し合ったりしながら
何が良いことなのか、何が悪いのか、それを一緒に判断していくこと
そう思うのです。

人は誰でも、いろんな顔を持って生きているし
子供にだってそれがあると思います。
友達と一緒にいるときの顔と、親の前での顔は違いますよね。
それをはっきり感じたのは、昨日のTV番組でした。
12歳の子供たちとその親に、別室に分かれてさまざまなテーマについて
意見を聞いてみたのだそうです。
子供たちはちゃんと、法律に触れることはイケナイと知っていたけれど
性交渉については、窃盗や殺人よりも悪いこととは思えないと話してました。
同じ質問を親にしてみると、性交渉の方が最も悪いことの
一番最初にあがっていました。

また人を殺してしまうことがあるかも知れないということに対しては
参加していた子供のほとんどが、Yesと答えていました。

これって「恐ろしいことだ」と思います?

わたしは、かなり屈折した子供時代を過ごしていて
身体が丈夫じゃないことを事あるごとに「弱いからアンタは悪い」と
クラスの全員の前で言い続けた担任の先生や、
友人に嫌がらせをして楽しむクラスメートや、
言葉の暴力を平気でぶつける部活の先輩とかを
「コロシテヤリタイ」って思いましたもの。

こういうモノを「心の闇」というのなら、それは誰の心の中にも
潜んでいるものじゃないかな。
それをちゃんと自分で認識して、表に返してやっているかが
問題になるんじゃないかな。

だからわたしも「そこで」ぐっ!とこらえて、キレそうになるのを我慢して
いつか乗り越えてやるんだって、歯を食いしばって耐えてきました。

そういう「留め金」がわたしにはあったけれど、犯罪を犯した
12歳の少年にはそれが無かったのですね。

「留め金」は何でも良くて、それが少年にもあったら、
こんな事件は起きなかったのかも知れないのに。
わたしの「留め金」は、母であったり、友人であったり
生きるチカラを教えてくれたアニメであったりしました―――。

また思春期の不安定な年齢だけに、そういう鬱々としたものを
留め金がないために、間違った方へ向けてしまったのかも知れませんね。

少年に対して同情するつもりでこういうことを書いてるわけじゃないけれど、
被害者となってしまった子の親御さんも、小さな手を
離さないでいてほしかったと思うのです。
その手を振り払って走っていってしまっても、追いかけて傍にいてやる
それくらいのことはしてほしいと思うんです。

だって夜9時を回っていても、ゲームコーナーでたった一人で
ゲームに熱中している小さな子を結構見かけるんですよね。
子供を遊ばせといて、親は他の階で買い物していたり
ファミレスでお茶してたり―――。
なんだかわたしの方が、とても心配になってしまうのです。

心はとても とても深いものです。
何層にも分かれて、人格を作りあげているのですよね。
闇の部分だって、きっとあります。
「親」のあり方を問われているような、この事件だけれど
自分の子供を「ただの子供」としてみるのではなく、
人として正面からむきあってみることが一番大切なんじゃないかな と
感じました。


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冰月まひな [MAIL] [HOMEPAGE]