自分と共通する部分を他人に認めて「おんなじだね」と言って喜ぶ。仲良しのすべてがこれであってほしくない。一人一人に差異は必ずあってその違いを認めて楽しむということがもっとありふれたことになって欲しい。もちろん交流のとっかかりとして類似性はあった方が良いのだけれど。同じ部分でしかつきあえないのならそれが他人である必要はどこに?