散書
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2002年11月29日(金) 終わりなどないさ 終わらせることはできるけど(byポルノグラフィティ)

命があることに理由があるなら、死とは、その理由が終わった――無くなったということであり。
つまり、生きている間は用があったけど、その用がなくなったから死んでしまう、用なしだから、必要なくなったから死んでしまうということで。
それは逆を返せば理由がある限りはどれだけの大怪我をしたりどれだけの大病を患ったりしても死なない、死ねないということでもあり。けれど、それでも見限られたら死んでしまうということで。

すべての命に理由があるとするなら、それは所詮誰かと誰かの性処理の結果という以上の意味しかなく、それ以上の意味は自分で生み出さなければいけないのではないのか。生きている理由を自分以外のものに求めて、さぞ「自分は周りから必要とされている」みたいに振る舞うのはとんでもなく大きな勘違いだと思う。生きていることに理由があると信じるのなら、それに相応しいことをしてみろよというか。

とかなんとか言いながらも、俺としては理由があるから生きていて、用がなくなったから世界から排斥されます的な人生観というのはいくらなんでも寂しすぎやしないかと、ただそれだけの理由から「人間の生に意味などない」と、そういうことを言ったりするわけです。
‥‥いえ、誰に言ったわけでもないですが。
大体、各々が生きているだけのことに理由を持っているとしたら、それぞれが周囲の有象無象に対して自分の責任も果たさないうちから生きていることに理由をもった他人に勝手に義務を果たすことだけを要求しているようにしか見えなくなってしまうじゃないかと。
そんなくだらない人間の一人だと、自分を分類してしまえるほどに俺は人生投げてませんので。
とはいえ、自分という人間に存在価値を見出せない人間としては、やっぱり生存するだけのことに理由は求められないなと。

別にいいじゃないか。生きてようが死んでようが。
誰かが死んだって、他の誰かがその穴を知ってか知らずか埋めてしまうようにできてるんだから。世の中ってのは。

だからこそ。
簡単には死んでなぞやらんぞと。


音楽関連のものを手広く扱っている店(なんて呼んだらいいんだ?)に行ってみました。
目的はふたつ。
� � 和声法とかの音楽理論の本。
�◆� ドイツ語で歌われてる歌の音楽CD。
取り敢えず、�,魯殴奪函�なにやら初心者向けみたいなことを書いておきながらも小難しいことがいくらも並んでる本。
んで、�◆�ドイツ語の勉強の一環として、なんでもいいから聴いてみるかと思ったんですが。
‥‥どれがそれなのかわからん。
いえ、まったくわからんってこともなかったんですけど。ただ、はっきり「これだ」とわかるのが、「ドイツのビアガーデンで歌われる民謡集」というような説明があったもののみという。
さすがに買う気にはなれませんでした。ええ。さすがに。

そんなわけで、家に帰ってからネットで検索。
‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥
‥‥というわけで。
いくつかその店で見かけたようなグループ名を見つけたので、また買いに行きます。大体は「Kraftwerk」と「Ata tak」がどこのサイトでも引っかかるので、そこら辺で試してみようと思います。でも「Kraftwerk」はちと古めっぽい。
明日は月に一度の浪費デーとしゃれ込むとします。

ところで。
「Neue Deutsche Welle」(和訳:ドイツの新しい波)って、結局どういうものなの? ←自分で調べろよ。


“忘レナ草 Forget-me-Not”、坂崎こよりシナリオクリア。
‥‥泣けるぜ、くっ。
あれは泣きゲです。完璧に。ええ、そりゃもう。
沙耶シナリオは大概だったけどなー。こよりは生きてる分だけいい‥‥のか? 胸の痛む話でしたよ。まったく。
今度はもっとまったりしたゲームを‥‥って、俺の手持ちだとなにがあったっけ‥‥?

ていうか、本音エロは要らんのよ。エロがないか、せめて3分の1くらいならもうちょっと間延びせずにプレイできたのに。もったいない。


寝ても寝ても眠気が取れない。誰かどうにかしてください。ほんと。


行った覚えのないアダルトサイトからメルマガが届く。勘弁してください。
‥‥これは「見にこないとちょっと大きな声じゃ言えないようなものを送りつけるぞ」という脅しでしょうか。ウィルスとか。
‥‥もうほんと勘弁してください。


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