散書
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2003年01月26日(日) 赦し以外のものが救いになるわけではない

結局のところは鬱入ってることにでもしたかったのかもしれないと思うとまた鬱になる。


コンビニで、友人らしい客と喋ってる店員目撃。素直に仕事に戻ったからまだいいけど。
取り敢えず、「楽な仕事でいいですね」とでも言ってやろうかと思ったけど、さすがにやめときました。んで帰りしな、開口一番店長を呼んで貰うという手があったことに気づく。俺ってこういうこと気が回らないんだよな。やれやれ。


鱈の目←あと一匹で完成とのこと。コメント:「この一枚でやつのレパートリーの少なさを証明できる」。

‥‥否定する義理もなければ否定の仕様もないけどね。


最近、時間の取れたときに頑張ってドイツ語の新聞(ウェブで一部公開しているもの)を見ているのですが。
「terror」。
英語の「テラー」:恐怖のことかと思えば、「テロア」:テロリズムのことだそうで。
外来語とかって、どう見分ければいいんでしょうね。


パソ絶ちを検討中。音が出ない以上、PC使ってできることと今したいこと・やらなきゃいけないこととを比較して考えると、音が出ない以上はネット繋ぐ以外の機能がほとんど使えないので。しばらくは片付けて封印しとこうかと。最近してることといえば、メールチェックとドイツ語の新聞見てるくらいだし。ゲームもできんしね。いや、できるんだけど音が出ないからやる気しないというか。

結局のところPCというコンピュータが「ゲーム機にもなる開発環境」であるという俺の持論は使い手次第なんだと痛感。


楽しもうという心がなければ、なにしたって面白いはずがありません。


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