散書
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生きるという難題。
幸せというのはなんなんだろう。不幸というのは字そのまま、幸せでない状態。なら、幸せとは? 辞書通りの言葉遣いで言うなら、現在一般的に使われている幸せという言葉は、幸福という言葉と語義が同化していて、旧来正しいとされていた意味で言うなら、どちらかと言えば幸運という言葉の方が幸せという言葉の意味に近いらしい。 辞書通りの言葉遣いで言うなら、幸せ、幸運というのは、巡り合わせが良いということらしい。対して、幸福というのは満たされている、不自由がないことを言うらしい。 なるほど。物質文明化が進んでいる昨今の社会事情を見れば、幸せという言葉の意味が幸福という言葉と同化していく過程は推察する必要さえない。そのままだ。けれど、元来の言葉でなら、その言葉の意味のままで使われていた時代は、ものよりも人と人との関係を重んじていたように思える。 果たして本当に幸せなのは幸福なのと幸運なのと、どちらなのだろう。人それぞれなのだろうか。だとしたら、幸せという状態を定義することはできまい。となると今度は、幸せと不幸を分ける境界を設定することはできなくなる。しかしそれでも、人間の中には、決定的に両者を別つ境界線がある。この矛盾は、どこから湧いて出るのだろう。 けれどそれがどちらの意味だとしても。不幸という状態には、幸福の対義語としてであれ幸運の対義語としてであれ、大差はないようだ。 加えて興味深いのは、幸せという言葉で辞書を引けば、意味として「運命」という言葉も引き出せるということ。有史以来、人間は宗教によって幸せを得ようとして、宗教によって、運命によって一定以上の努力を運命を理由に放棄してきた。この事実を踏まえて幸せという言葉の意味を考えると、また面白い。 まあどうであれ。 「幸せとはなんだろう」などという疑問を抱いている以上、その人は幸せでないことは明白。その疑問から解き放たれない限り、幸せになれないことは明白。逆に言えば、今幸せだと言い切っている人は、自らの現状に何の疑問も抱いていないということだ。それが良いことか否かはその人次第だろうが。
「正直者が馬鹿を見る」。なるほど。
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