2008年12月08日(月) |
寒空に感謝を込めて祈るとき |
以前の日記で ↓のように紹介した叔父が土曜日に逝った ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もう引退したけれど 僕には市議会議員の叔父がいたので 選挙期間中の候補者の苦労はそれなりに知っている
昼間は選挙カーや自転車で区内を回り街頭演説 夜は夜で区内の集会場数箇所を回って演説会 選挙事務所に帰っても支援者への応対に追われる
毎晩帰宅後に栄養剤の点滴を打ち 蒸気をあててノドの回復を計るも 日を追うごとに強烈に消耗していく
終盤になると 腫れ上がってしまったたノドと 自己の選挙活動に対しての疑心暗鬼で メシはもうほとんど口にしなくなる
叔父の頃は選挙期間も2週間あった 選挙前と選挙後で体重が10キロ以上減る
投票から開票までのあいだは 「人事を尽くして天命を待つ」なんてほど 決してカッコよいものではない
もうボロボロだ
そして 当落の恐怖で神経をすり減らす
幸い叔父は落選がなかったので 当確が出た瞬間にアドレナリンを分泌させ 何事もなかったような表情を「装って」 支援者の待つ選挙事務所へ向かう
普段は権威を鼻にかけるイケ好かない叔父だったけど この時期の叔父をみて少し見直したもんだった(笑) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
政界を引退してのち叔母に先立たれたあとは ほとんど隠居生活をしていると聞いていた
ボクはもう15年会わずにいた
イケ好かない叔父の好いていた部分だけが 今は思い出されてならない
当選が決まるとタバコに火をつけながら
「なぁスミト、ワシらは汚く言えばバクチ打ちや(笑)」
自分の人生を賭けるという意味をこう言って茶化した
肩書きを失えば【ただの人】
その恐怖に打ち勝つたびに 叔父はプライドを積み重ねたことだろう
そして叔父は同時に きっとどんどん孤独になっていったのだ
利害関係でしか結びつかない人間ばかりが増える一方 真心に割く時間はどんどん削られていったことだろう
当時のボクにはそこが分からず 現役だった頃の叔父の一言一言が いちいち癪にさわっていたボクだったけれど
あの頃が一番輝いていたのだなと思う
こうして失い 今になって分かることが必ずある
感謝しよう
いろいろなことを教わりながら ボクの覚悟を培う人達に
そしてボクは 本当に都合よくでしかないけれど
この時にだけは
心から祈ろう
|