How soon is the weight of the life done?

今朝、箱に無造作に突っ込まれた猫の死体を見つけた。
頭から箱に入れられたそれは、かちこちに固まっていて。
道の脇に置かれていて
それを見た感想は、「ああ死んでる」
それを見て、鳥のことを思い出した。

家には今、四羽の鳥がいる。
コザクラインコが二羽。
セキセインコと文鳥が一羽ずつ。

家を建てて今年で五年目。
それまでに飼った鳥の数は、九羽。
五羽が死んだ。
全部、私の鳥だった。

文鳥が四羽、セキセインコが一羽。

初めて買った文鳥は二日で死んだ。
私の手の中で死んだ。
それが、私が体験した始めての死だった。
その時私は十二歳で、人の目も気にせず泣いた。

二番目に死んだのは、その次に父が買ってきた文鳥で、
三年目の、真冬の車庫で冷たくなっていた。
その日の朝に、私は夢を見た。
全く同じ光景だった。
手乗りだったその鳥が死んだとき、私は泣かなかった。
その日はたまたま日曜日で まだ雪が降っていなくて
スコップ片手に庭を掘り返し、埋めた。

三番目に死んだのは、父親が「なんだろう」と買ってきた鳥で、
結局文鳥だったのだけど。
一年目、私が鳥を飼って四年目の冬に冷たくなっていた。
雪を掘り返して彼女を埋めた。

四番目に死んだのは、弟が余したセキセインコで
やっぱり朝起きると冷たくなっていた。
庭の隅に、やっぱり埋めた。

最後に死んだのは、今生きている文鳥の、番となるべく飼ってきたので
「白文鳥」という、比較的弱いイキモノ。
それでも三年生きた。
学校から帰ると冷たくなっていた。
制服のままスコップ担いで、冷たくなったその体を手に
やっぱり、庭の片隅の、
私が買ってきたイキモノばかりが眠る場所に、埋めた。

キール、ロコン、雪、アクア、白。
それが名前。
買ってきた時、箱の中でかさかさと動いていた彼等は
皆冷たく固くなって庭の隅に、いる。

五年、生きている文鳥がいる。
「文」と書いて、ぶん、と読む。
文鳥だから、という理由で命名された彼女は、
籠で飼っている文鳥の寿命は、六〜七年。

多分死んでも、私は泣かない。と思うのだ。
毎日毎日、朝起きて彼女に会う度、
毎晩毎晩、部活を終えて学校から帰って来る度
「ああまだ生きてる」と、確かめるのだが。
もしその体が止まり木ではなく床に横たわっていたとしても
「なんだ死んだ」ぐらいしにか思わないのだろう。

……残酷、だろうか?

私は肉親の死に立ち会ったことが無い。
祖父は二人とも、私が生まれる前に死んでいるし、
親戚は皆働き盛りで、下手をすると一番早く死ぬのはウチの両親かもしれない。
そんな状況。
曽祖父や曾祖母は、中々に複雑な家庭環境なのでいない。
というか、彼等が生きているのかすら、確かめる術は無い。

多分、彼女が最後の文鳥。
身代わりは六羽で十分。


私信>
青条さんへ>
別館の方調整して置きました。つーか気付いてませんでした、スイマセン(汗)

ここから先は、理由。
言い訳とも取れる理由。うちで鳥を飼い続けている理由。
見ないほうがいいかと思われます。






家を建てて。
妹に弟に鳥を買って。
私は最後で、丁度十二歳の誕生日プレゼントが文鳥だった。
キール、と。
そう名前をつけた文鳥は、二日で死んだ。

家を建てて。イキモノを。
水槽の中の魚ではないモノを買い始めたのは。
……身代わり、なのだそうだ。
家を建てると、家人に何かがあるらしい。
いつだったか、祖母と母がそう言った。
「だからキールは双魔の身代わりになったんだよ」、と。
「ロコンは」「雪は」「アクアは」「白は」

「双魔の身代わりになったんだよ」

ダカラカナシマナクテイインダヨ。

妹に身代わりのコザクラインコを買い与えた。
弟に身代わりのセキセインコを買い与えた。
私に身代わりの文鳥を買い与えた。
……死んだら、悲しみに浸る間もなく。
その次の週末には、家に新しい鳥がやってきた。
犬じゃない理由は、散歩が面倒だから。
猫じゃない理由は、世話が面倒だから。
鼠じゃない理由は、母親が嫌いだから。
鳥になった理由は、世話が簡単だから。
自分の娘にそう語る母親と父親。


考えたくないが、そんな考え方は好かないが、
死んだ五羽が皆身代わりになったとすれば
私はもう五回も死んでいる計算になる。

彼等が死ぬたび 祖母は言った。
「双魔ちゃんよかったねぇ」

その言葉に吐き気を覚えても、
私は自分の感情を嫌うことは出来なくて、
きっと自分が祖母を母をオカシイと思うのと同じくらいに
自分もオカシイのだ。
胸が開いた欠落さえも感じなくなった。
それが「慣れ」だろうか。

……重傷だ
2005年06月14日(火)

AGO。 / 走馬真人

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