nemo |
何も見えないのは、見ようとしないから? それとも本当に、見えなくなった?
言葉が見つからないのは、傷付くのが怖いから? それとも本当に、見つからなくなった?
晴れてる空が憎たらしい 聞こえる声が憎たらしい 子供なんて嫌い 鬱陶しいから嫌い 喧しいから嫌い 柔らかいから嫌い すぐに泣くから嫌い おなじものだから、きらい
違うよ本当は平気なんだ 平気なのに平気じゃないふりをしてるんだ きっとふりなんだ あははは なんだろう、この、卑怯者。
モジカキでなくなったら走馬真人ではないのです 走馬真人はモジカキであるべきなのです きっとこれは思い込みなのでしょう 生来からの癖なのでしょう でも 書けなくなった自分に、何の意味があるのでしょうか
人生は何度でもやり直せる、なんて、嘘。 「やり直し」、じゃない その地点から、何かを「始める」んだ それは、過去のやり直しにはならない 何故なら未来に続くから。
信じてきたものが間違いだと知ったとき 人はどうするべきなのでしょう やり直すべきなのでしょうか 和解すべきなのでしょうか でも 間違いを正して 自分が揺らぐのなら どうしたらいいのでしょうか 揺らいでも正しく在るべきなのでしょうか 間違っていても自分で在るべきなのでしょうか
分からないのです 何処からが本当で 何処からが思い込みなのか
分からなくなったのです その言葉が本当なのか それとも偽りなのか 分からないのです
十二分に引きとめて貰っているのです それでもまだ死にたいと願うのは 私が偏に我儘なのでしょう
恵まれているのです きっと、恵まれているのです だから 何も不満など持つべきではないのです なのに何故 私はこうなってしまったのでしょう
大丈夫 大丈夫 死にたいだなんて口に出来るうちは まだ大丈夫なのです
大丈夫 大丈夫 終わりたいだなんて口に出来るうちは まだ大丈夫なのです
きっと、これは、狂言なのでしょう。 首に紐は巻き付けれても 一線を飛び越える勇気がなかったのですから 借家で首を括る、その決意がなかったのですから 橋の欄干から飛び降りることが出来なかったのですから 首を切ることが出来なかったのですから 自分に火を付けることが出来なかったのですから だから、きっと、莫迦者の戯言。
きえてしまいたいだなんて、きっと、戯言。
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2008年06月01日(日)
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