気ままな日記
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父は今年71歳になる。 パソコンを操作していて、ローマ字入力のはずが、はずみで設定が変わりひらがな入力になってしまったというような、ありがちなトラブルに見舞われると、私にお呼びがかかる。 それぐらいのことなら、機械オンチの私でもわかるので、ちょっとエラそうに、さも何でもないような風を装って操作の説明をしてみせる。 こんな時彼と会話しながらふと感じるのが「老い」。 脳の反応と、手の動きと、返事が微妙にかみあわないのである。これは私たちにだって時々あることだけど、反射的に返事はしたものの、実は頭が理解していないというようなこと。 70歳を越えたら当然のことかもしれない。でも実際に目のあたりにすると、こちらの頭の中に薄ら寒い風が吹く。 形ばかりの団欒からすっかり「いち抜け」した私は、現実の彼と接する機会が最近あまりない。そのせいか、私の頭の中にいまだに定着している父親像は、ネクタイを結び、背広を着てしゃんと背筋を伸ばし、行進するみたいにシャキシャキ歩いて出勤する姿なのだ。 だからそのイメージと現実のギャップに愕然とするのかもしれない。 一方、耳の遠い父に合わせてテレビのボリューム全開にした居間で、どういうわけか受験勉強している私の息子。彼の方がむしろ、祖父と祖母の織り成す、ちょっとかみあわず、滑稽ささえ漂う会話を日々見聞することによって、正確に彼らの本当の姿や、老いるということを肌で感じながら過ごしているのかも知れない。
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