気ままな日記
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2005年05月05日(木) |
死者はいつでも美しい |
事件などで人が亡くなると、その方の人柄についてのコメントが新聞に載ったり、ニュースで放送されたりする。 この場合、周囲の者の語る被害者像はいつも「善良」である。 もしも私がそのような目に遭ったとしたら、周りの人々はなんとコメントするだろう。 家族曰く「ひとり息子が高校にはいったばかりなのに。これから私たちは何を支えに生きていけばいいのでしょう」と涙こらえきれぬ様子。 同僚の場合、「物静かで、担当の仕事を黙々とこなしていたのが印象的です」と、短めで無難なコメント。
これが180度翻って、私が罪を犯した場合―。 家族のコメント。(インターホン越しに)「そっとしておいてください」もしくは、「被害者の方になんとお詫びしたらよいか。おとなしい子だったのに、信じられません」と動揺隠し切れぬ様子。 そして同僚はというと、今まで席を並べていた同僚がいきなり皇族と結婚することになったのと同じような、ちょっとした当事者感にワクワクしながらも、努めて冷静を装い、「そういえば隣の席の同僚と険悪な雰囲気でした。それでストレスがたまったんじゃないでしょうか」としたり顔に推測する者あり、かと思えば、「しょっちゅう休みをとってました」だの、「お茶汲みを放棄してました」だの「いつも黒い服ばっかり着てました」だの、この際だからと、全く関係ないことまで出るわ出るわ……。 人はマイクを向けられると、視聴者の期待に沿ったことを答えようとしてしまうものだが、自分が日頃まわりにどう思われているかは、犯罪者になってみることで、浮き彫りにされるものかもしれない。
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