気ままな日記
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社会学者上野千鶴子さん著『おひとりさまの老後』を読む。 シングル女性の増加や平均寿命世界一、という状況の中、最近は「おひとりさまもの」の読み物が人気なのだそうだ。 その中に出てきた言葉がこれ、『儀礼的距離化』。 丁寧語を使って、「わたしはあなたとこの距離を詰めるつもりはありませんよ」というメッセージを送ることなのだそうだ。ラッシュアワーの電車の中のように物理的な距離が保てない時に、意識的に目をそらすなどもこれにはいるとのこと。 職場の同僚や、病院での治療関係など、利害が対立したり感情的に緊密な関係になりやすい場合など、バランスを保つためにいいのだそうだ。それを考えると、抵抗感のあった「患者様」呼びもこれにあてはまるのかもしれない。 さて、わたしは月に一度のペースで、小説の書き方なるものを教わりに教室に通っている。 そこでの授業は、受講生が各自提出した小説の合評+講師の講評形式で進められる。一生懸命に書いてきたものにあまりケチをつけても悪いし、そうかと言って、差し障りなく褒めるばかりというのも能がない。文章を期日までに提出するのはもちろん、人の書いたものを読むのも、感想を述べるのも、そうとうエネルギーがいる。 受講生たちは、老若男女10人ぐらいだろうか。授業が終わると皆、おしゃべりしたり挨拶したりもせず、黙々と帰って行く。もちろん、夜遅い時間帯だからということもあるだろうが、これがお茶や踊りの講座だったらどうだろう。終わったあとも、講座の内容に関係のあることないこと、ちょっとはおしゃべりをし、ある人たちは帰りにお茶でも、ということになるのではないだろうか。 素人の悲しさ、想像力には限界がある。小説といえど、全く根も葉もないようなことは書けない。どうしても実話に基づいた、あるいはそれに近いもの、ということになる。作り話だったとしても、自分の心のうちをオープンにして人前にさらす、ということに変わりない。 その人の書いた文章を読むということは、相手の心の奥深くに立ち入るということである。それがお互いにわかっているので、意識的に距離を置こうとしているような、ここでも、「儀礼的距離化」なるものが働いているような気がするのである。
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