気ままな日記
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2007年10月26日(金) しあわせな作家

 先日いただいた図書カードで、早川茉莉著『森茉莉かぶれ』という本を買った。早川氏(茉莉というペンネームはきっと、森茉莉さんに因んだのだろう)から森茉莉さんへの書簡という形で物語がすすむ。
 わたしは特に森茉莉ファンというわけではない。以前、群ようこさんが書いた「贅沢貧乏のマリア」を読んで、室内のゴミが土と化するほどのすごい部屋に住んでいたというのを知り、うっすらと興味はもっていた。
 その後、何冊か彼女の小説やエッセイを読み、なんとなく気になる人になっていたのであった。
 良くも悪くもなんとなく気になる、それがわたしが抱いた森茉莉さんの印象。
 毎日カフェに通い、そこで原稿を書くといった生活スタイルに対する純粋な憧れは大きい。昭和初期のレトロなカフェは、今どき滅多にお目にかからないので、ドトールコーヒーとかそのあたりで手を打つ。しかし、ポーズだけまねてみてもだめ。特になんの発想も浮かばず、コーヒーやらケーキやらに散財してしまったというちょっぴりな後ろめたさとともに店を出るのが、わたしのいつものパターン。
 森茉莉さん曰く「楽しむには能力がいる」そうだが、それを実践しているのが、彼女のエッセイを読むとよくわかる。
彼女は、うぬぼれが強いことも含め、自分のことをとても客観的に観察している。そして、そういう自分を「受け入れよう」などと気負わずに、ごく自然に自分と仲良くやっている。まずは自分と仲良くすることから始めよう、という癒し系の本に書かれているようなことを、そうした本がない時代にすでに実践していたのだ
 初めに彼女の小説を読んだとき、その「修飾語」の多さには辟易した。その上、文章があっちに飛びこっちに移り、脈絡が頭にはいってこない。
「イタリアの運河のような深く暗い色」って一体どんな色なわけ??と腹をたてながらも、なぜか引き込まれてしまうのは、いろんな意味で「しあわせな人」だったからなのではないかという気がする。


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