187 身近にある戦争 |
昨日テレビでやっていたマイケル・ムーア監督作品『ボーリング・フォー・コロンバイン』を再度見て、改めて思ったことがある。 悲劇の現実は明らかに我々の想像を超えているということ。 こないだのチェチェンでの人質立て籠もり事件で特に痛烈に感じたことだ。 なぜだろう?これは俺だけだろうか?統計的にも違うのに、そう、俺は大勢が人質にとられても、実際にその人質が殺されるということに頭の中で結びついていなかった。映画やドラマや小説や、人の手によって創られた物語の中では、チェチェンで起きたような悲劇を描けたものはない。いや、あってもそれは悲劇過ぎて規制により公開されなかったのかもしれない・・・。
人質をとって立て籠もるといえば、多くの人がイメージするであろうシチュエーションは、銀行強盗が銀行に人質をとって立て籠もるというパターン。かなり多いと思う。そんなとき犯人は必ずこういう。 「ちょっとでもしゃべったり動いたりしたらぶっ殺すぞ!」と。 でも人質が実際にしゃべったり動いたりすると、 「それ以上やったらマジで殺すぞ!」 となる。余地がある。なぜかと言えば、銀行強盗も殺さないですめばそれにこしたことはないわけだ。殺したくはない。 それが一番強い俺の人質立て籠もりのイメージ。なんとも平和ボケしたイメージだと思う。 でも現実は違った。余地がない。動けば殺され、話せば殺され、10人単位で殺されていく。 コロンバイン事件も、チェチェンの事件も、共通して感じたのは、殺すことに躊躇がないってこと。高校で銃を乱射することも、逃げていく子供を後ろから銃で撃ち殺すことも、俺達の想像力の外の出来事だ。現実として想像しうることなのか?俺には想像できなかった。 最近は考えをあらためている。平和ボケは相変わらず消えないけど、戦争は俺が思っているよりも、もっとずっと身近にあるんだって、そう思ってる。
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2004年09月17日(金)
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