蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2009年12月28日(月) ふり返ってみれば

とにかく今年は父の介護に悩んだ1年だった。病気の進行、病気そのものの扱いにくさ、病気が連れてくる社会的な煩わしさ、闘病で荒れた父の心、そんな父と私の関係、父と妹、父と母もしかり。綱渡りの生活の中で追い打ちをかけたのは、11月の腰痛の再発と母の不調で、このときは本当につらかった。父一人ならまだしも母までぶっ倒れられたら、どう考えても身が持たない。ギリギリのところで必死に食い止めようとした。自分の体調が悪化すれば他人に気をまわす余裕などなくなることも思い知った。

互いの存在で何とか成り立っていることはそれぞれわかっているはずなのに、どうしても起きてしまうのが妹との小さな諍いや意見の食い違いで、こればかりはどうしようもないのかもしれないけれど、できるだけ傷の浅いうちに修復したい。

はじめのうちはこのとんでもなく疲れる生活をただ必死にこなすことだけだったのが、実家にいる時間が長くなるにつれて、本来の東京の生活がどんどんはかなく頼りなくなっていくことに不安を覚えるようになり、そのことを考えるとどうしようもない敗北感のようなものが押し寄せてくる。相方に迷惑をかけ続けていること、仕事に穴を開けまくっていること。いいよ、だいじょうぶだよ、気にしないで、と言ってくれることがせめてもの救いで、でもそこにはたくさんの我慢があることが手に取るようにわかるので、ひたすら申し訳ない。

今年はたくさん本を読みたい、と年初に書いたものの、とてもたくさんなんて読んでいる場合ではなかった。それでも図書館に行けるときは行って本を借り、読めないなりにも持ち歩き、中にはほっとする言葉を見つけ、新しい出会いもあった。たくさんでなくてもいい。絶やしてはいけないな、ということだ。

来年はどんな年になるだろう。きっとまた父の介護に悩むんだろう。行ったり来たりの生活で消耗していくに違いない。仕事もどうなるかわからない。また人に迷惑をかけざるを得ないことになるかもしれない。

でもどんな状況でも、本当に大切にしているものは絶対に自分から手を離してはいけない。そしてそれさえあれば、あとのことは案外どうにでもなったりするもんだ。それくらいでいい。あきらめない。ふてくされない。放っておけばどんどん複雑になっていく人生を意識的にシンプルに。あれもこれもとたくさん抱えようとしない。茶碗はひとつじゃないけれど、それくらいの心意気でいたい。


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