蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2010年01月13日(水) もう一月も半ば

七草がゆの日も成人式の日も過ぎてしまった。まったく時間だけは、いや、時間までも容赦ない。

疲れた悩んだ大変だった、と書いた次の日から、父はまた発熱し、苦しい、息が入ってこない、と訴え、それは大変であった。こんな年末にどうすんの?とタイミングの悪さを思ったけれど、いつも来てくれる訪問看護師さんも往診のY先生も、晦日だろうが大晦日だろうが対応してくださった。熱が下がって落ち着いたのは年明けてしばらくたってからのことだ。さんざんな年越しであった。

状態が悪くなってこれからどうしようというときに、相変わらず父は自分のことなのに、病院に入院したいのかしたくないのか、もう少し家でがんばるのか、家族に看てほしいのか、病院の方が不便はあれどもまだ安心なのか、あれこれ尋ねても明確な返事をしない。仕方がないので、父の気持ちを(私が)推測し、母や妹に「お父さんはこう思ってるんじゃなかろうかと思う」と話して確かめ、我が家の今後の方針を決めることになる。父はそれについていいとも悪いとも当たってるとも間違ってるとも言わない。よくわからない、どっちとも言えない、やっと返ってくるのはそんな言葉だ。他の誰でもない、自分のことだろうによ、と腹が立つ。

これからどうしますか、どうしたいですか、と訪問看護師さんにもY先生にも尋ねられる。こちらの希望を伝えてそれにそって動いてもらわなければならないので、そういうことを訊かれるのは当たり前なのだけれど、それに返事をするのは「いつも」私なのだ。損な役回りだと思う。でも誰も決めないので私が決めるよりない。そのことは訪問看護師のHさんにも愚痴まじりでお話した。笑いながら「そうみたいですね」とよくわかってくれた。

生きるか死ぬか、どう生きるかどう死ぬか、娘とはいえ、どうして他人の私が率先して決めないとならないのか。望みはかなえられない場合ももちろんあるけれど(それはY先生もおっしゃっていたし、私もよくわかる)、自分の考えはこうで、こういうふうにしてくれるとありがたい、くらい言えないもんか。もしくは具体的な望みはないけれどみんなの迷惑にならないようにしてもらっていい、とか、できるだけ家に居たいとか、なにかあるだろうによ。何もなくて、でもこの大変な状況を何とか切り抜けなくてはならなくて、そしたら私は何を道標に進めばいいのか。

全部が済んだとき、お姉ちゃんが勝手に決めた、と言われないように、つい説得しがちなところをなるべく説得はせず、皆の意見を聞くように心がけている。それでなくては責任が重過ぎて、怖くて前に進めない。

そんな年の始まりである。今年も懲りずによろしくお願いします。


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