蜜白玉のひとりごと
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父が亡くなってからもうすぐ丸2年になる。自分の感覚では、もうずっと父がいない気がするけれど、いなくなってからまだ2年しか経っていないのだった。一方で、ついこのあいだ一周忌法要をやったばかりなのに、もう三回忌法要の準備をしていて、なんだってこんなに慌しいのだろうとも思うのだった。矛盾しているけれど、どちらも素直な感想で、相変わらず父の不在に慣れていないということなのかもしれない。
いるはずの人がいない。いてほしい人がいない。不在。
心に引っかかっているのはでも、不在そのものではない。父のこととして思い出すのはいつも、晩年の介護がとても大変だった頃のことばかりだ。難病も介護も父の人生の一部分でしかないのに、私にはあまりに強烈で、そのことばかりが頭の中で繰り返される。
そして、どこか悔いにも似た気持ちがある。いまだに、もっとこうすればよかった、ああもできたんじゃないか、あのとき言いたかったのは本当はこういうことだったんじゃないか、といくらでも考えが回る。もう当の本人はいないのだから考えたって仕方がないのに。
あのときのことは失敗だったとは思っていないし、たぶん自分たちができる最良にごく近い辺りまでできていたとも思う。それでもやっぱりどこかで意味を見出したくて反芻してしまうのだ。
家で父が息を引き取る少し前、きっともうあと数時間だろうなとわかったので、手を握ったりさすったりしながら、いろいろ言葉をかけていた。ふと、父の表情がゆがんだ。もう長いこと全身の筋肉が動かないから、表情だってほとんど変わらなかったのに、その時、ほんの一瞬だけ、顔が動いたのだ。おとうさん、ありがとう、って声をかけたときだった。それを思い出すと、今でも毎回、滝のように涙があふれ出す。
父の表情は、悲しそうで悔しそうで、でもほんの少しだけうれしそうにも見えた。ありがとう、って言われてうれしい。でもみんなと別れるのは悲しい。ああ、もうここで俺の人生終わりなんだという悔しさ。いろんな感情が入り混じった、泣きそうな顔だった。その一瞬を私はそう読み取った。当たっているかどうかは、そのうち聞けるといい。
あのときのことをやっと書けた。2年。長いのか短いのか、わからない。
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