蜜白玉のひとりごと
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小学校1年生か2年生のとき、金環日食を見たことがある。向かいのマンションの入口に近所の子どもとお母さんたちが集まって、みんなして不気味に薄暗い空を見上げた。当時は日食グラスなんて洒落た物は持っていなかったから、母が急ごしらえで作ってくれた煤をつけたガラス片をかざして、小さなオレンジの輪っかを見た。これが太陽だ、と言われてもいまいちわからなかった。太陽は丸いものだと思っていたけれど、本当の姿は真ん中に穴の開いた輪っかだったのかと勘違いした気もする。ガラス片を持つ指先は煤で真っ黒になるし、ずっと見上げていたから首は痛いし、目はチカチカするし、大人たちはいつになく興奮しているし、あれはいったい何の騒ぎだったのだろう。
あの時、金環日食を観測できたのは沖縄だけだったと知ったのはつい最近のことだ。「世紀の天体ショー」を前にテレビではいろんなことを放送してくれるもので、1980年代に沖縄で金環日食が見られたといっていたから、その頃沖縄に住んでいた私が見たのはまさにそれだったのだ。連日テレビではこうも繰り返す。肉眼で太陽を見てはいけません、焦点を合わせて0.2秒でも見れば「日食網膜症」になってしまいます、カラー下敷きも、サングラスも、煤をつけたガラスもいけません、必ず専用の日食グラスを用いましょう、ない場合は木漏れ日を見るなどして観察する方法もあります。
煤をつけたガラスごしに思いきり太陽を直視していた私は日食網膜症にはならなかったのだろうか。目がチカチカして、しばらくはどっちを向いても太陽の残像がうるさかったあれは、日食網膜症ではなかったのだろうか。
今回は日本の太平洋側の広い地域で観測できる金環日食、東京は午前7時32分がピークだけれど、それよりも前から部分日食は始まっていて、朝起きたときにはもう太陽の端が欠けていた。テレビの中継映像と、寝室の窓から見る太陽とを見比べながら、日食というのは太陽よりも月の存在が際立つなと思った。月がじわじわと太陽の前に入り込んでくることで、たしかに太陽と地球の間に月が存在するということがあの大きな黒い丸によって示された。いや、知ってはいたけれど、でもね。
秒読みで大騒ぎのテレビの中とは打って変わって、我が家の周りはいつもと変わらない朝の静かな時間が流れている。ここから見る限りでは他の部屋のベランダや窓に人影はなく、おもてに出て空を見上げる人もいない。ときどき横道から駅に向かって足早に歩く人が出てくるくらいで、おもむろに胸のポケットから日食サングラスを出してちらっとかかげたのはサラリーマンひとりだけ。斜め向かいの日当たりのいいベランダも雨戸がきっちり閉められたままだ。
ときどき雲に隠れながらも、きれいにリング状になった太陽を見る。子供の頃に見たのより、やや大きく見える気がする。2回目だと思うせいか感動は少なく、あのときの、肌がぞわっとするような奇妙な感覚もない。
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