蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2012年05月20日(日) ある発見

新幹線の行き帰りに何か本をと思って、金井美恵子『彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄』(朝日文庫)を持って出たのが木曜日で、3日間かけて読んだら、他の目白四部作も読みたくなり、うちには『タマや』(河出文庫)しかないからエイヤ!とアマゾンで残りを全部買った。

ところで、目白四部作って、結局どれのことだろうと思って、うろ覚えだから調べてみたらウィキペディア(四部作)にはこうあった。

---引用ここから---

四部作(よんぶさく、Tetralogy)は、四つにそれぞれ分かれていながら、同じ一つの主題を持つ作品群のこと。

(中略)

・金井美恵子
 ・目白四部作 -「文章教室」、「小春日和」、「タマや」、「道化師の恋」

---引用ここまで---

そうだよね、だって桃子ちゃんとかおばさんが出てくるから、てっきり『彼女(たち)について・・・』も含むかと思って数えてみたら5作品になるし変だなあ、と思いながら読んでたのだ。『小春日和』と『タマや』は何度か読んだ記憶があるけれど、『文章教室』と『道化師の恋』はたぶん一度は読んだはずなのに、ほとんど何も覚えていない。

ところでなんでウィキペディアのわざわざ(四部作)を引用したかといえば、肝心の(金井美恵子)のページには、目白四部作はこう書かれているからだ。

---引用ここから---

目白四部作 [編集]

1980年代から発表された、金井の近年の代表的作品群。それまでの作風の転換点でもあり、金井の私淑するフローベールのように、徹底した客観にもとづいて、様々な職種や関係の絡み合う群像を描いている。

それぞれの作品は独立しているが、物語は目白という同一の舞台で繰り広げられ、主人公及び脇役のキャラクターがそれぞれの作品にゲストとして登場している。『小春日和』の10年後を描いた『彼女(たち)について私が知っている二、三の事柄』、『道化師の恋』の登場人物も併せて登場する『快適生活研究』と併せ目白シリーズと呼ぶ事もある。

---引用ここまで---

で?

結局、目白四部作のタイトルが何なのか、大事なことがわからない。目白四部作から広げて目白シリーズとするなら、『彼女(たち)について・・・』と『快適生活研究』をも含む、ということはわかるのだけれど。日本語って難しいですね。

今日の私の文章がくどいのは当然、金井美恵子を読んだばかりだからなわけだけれど、おもしろいからこのまま書いていくとする。読んだ本の文章の調子に感染するのはよくあることで、これはおそらく私が転校生だったことと少なからず関係あるのではないかとこの頃は考えている。

父の転勤に引きずられて転校ばかりしていた小学生は、行った先で浮かないように(時期を外した10月の転校生はどうしたって浮くのに)、置いてけぼりにならないように、ましてや変人扱いされないように、周りの子の方言やなまりに耳をすませ、注意深く相手の調子をまねた。文脈や状況から推測する力も今から思えばかなりあったはずだ。その積み重ねが今となっては良かれ悪しかれ相手に合わせるのが早く、そのせいでいやだなあと思っていたはずの誰かの変な口癖も気がつくとうつっていたりするからやっかいだ。

まあそれはいいとして、今回もまた『彼女(たち)について・・・』を楽しく読んで、いつ息継ぎしたらいいのかわからなくなる切れ目のない長いセンテンスがこれでもかこれでもかと続くうちに、これは息継ぎではなくて、咀嚼と嚥下ではないかということに気がついた。もぐもぐもぐもぐ・・・・・・、ごっくん。このリズムがぴったりだったわけである。息を吐いて吐いて吐いて吸う、でもなければ、息を止めて止めて止めて吸う、でもなかった。

文章が読点(、)で延々と継ぎ足されていくときの思考が充満した感じは、口の中にまだ食べ物が残っているのに次々と口に入れて食べ続ける感覚に似ているか。一口いただいたら一度お箸を置いて飲み込んでからにしましょう、とダイエット魔に注意されそうな食べ方だ。金井さんの文章を読む限りにおいては太る心配はないけれど。この「発見」というか「気づき」に気を良くして、アマゾンから残り3冊が届くまで『タマや』を読んで待つことにした。


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