蛍桜

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東北地方太平洋沖地震
こちら神奈川。
生きております。ケガもありません。
ご心配してくれたかた(いるのかな)
とりあえず元気です。
でも、まだ大きい地震がもう一回くるとのうわさもあります。
まぁこういううわさは不安を掻き立てるだけですが
とりあえず今長野や新潟でも大きな地震が起こっており
神奈川もそれに誘発されているようです。
いつでも逃げれる準備はしております。
そして、今晩は福島の原子力が停止している影響で
停電になる可能性が高いとのこと。
その前に日記を書いておこうと思いました。
もし本当に大きい地震が来て、私がいなくなっても、
今回の状況が少しでも多く残っているように。
今も余震が来ています。13:58

家にも帰れました。私は運良く地震発生日の夜に帰れました。
歩いて帰っている人たちもたくさんいましたが、私は電車です。
それだけでもかなり疲れました。
そしてもっと運良く、家はガス・水・電気全て使えました。
携帯も充電でき、今のところ不自由がないです。
神奈川では、停電がとても多く、避難所にいる人もいます。

地震発生時は横浜にある会社の2階にいました。
揺れはとても長く、はじめはみんなで
おー、揺れてる。
と言ってたくらい。
でもなかなか収まらず、どんどん大きくなる。
やばい、やばくね?
ヘルメットを取り出す人たち。
私はヘルメット支給されてないんですが!

ピークに達する前、家のWEBカメラを見ました。
揺れてて何も見えない。猫もいない。
かなり心配、これやばい、
と、会社で先輩たちとしゃべりあってるうちに
地震がピークに近づき、机の下に隠れました。
隠れたにも関わらず、なかなか収まらない。

会社の男性たちは、扉を開けてそこにずっと立っててくれました。
「早く隠れなよ!」と言いましたが、
「閉じ込められるほうがいやなんで」とかなんとか。
もう一人の男性は、窓を開けてくれました。
そこには避難はしごがあったため、だそうです。

もう、みんなすごすぎる。
そして、みんな、自分の身を守れや!!

机の下で、隣に隠れた先輩と二人で叫んでいました。
「なんでこんなに長いの」「なんで終わらないの」
そんなこといいながら。

私はこういうとき、暗い顔をするのは苦手です。
みんなそうなんだと思う。
だからみんな半笑い。
でもそれは恐怖からくる笑いだったのかもしれないです。
ずっと手の震えが止まらなかった。

地震が弱くなり、とりあえず机から半分出ました。
まだ揺れは収まらない。
でもみんな、とりあえず現状把握。
私は地震速報を見て、宮城で震度7、
私たちのところは震度5強だという情報にみんなへ伝え。
みんなは窓を開けて、他のビルを見てました。
見える高いビル(みなとみらい方面)はかなり揺れていました。
あとから知ったのですが、みなとみらいや関内方面は
地盤は弱いので私たちが感じた揺れよりも
かなり大きかったそうです。

地震は一度止まったものの、余震が絶え間なく起こる。
その中には大きいものもたくさんあり、
そのたびに怯えながら、みんな実家に電話をして安否確認。
携帯電話は当然使えないので、
会社の固定電話を使って電話。
固定電話も使えたり、使えなかったり。
タイミングよく香川の実家につながるも親が出ない。
香川の姉ちゃんの家に電話するも出ない。
大家さん(家が隣なので)に電話するも出ない。
最終的に香川の姉ちゃんの携帯につながって、
かなり長く鳴らしたあとに出てくれました。

もちろんテレビとかを見ていない限り、
みんな地震のことを知らないだろうというのは
分かっていたので、声を落ち着かせて伝える。

「今、こっちで震度5の地震があったんやけど、
私は大丈夫。ただ、宮城で震度7あってかなり大きい地震のよう。
お母さんには連絡できないから伝えておいて」

それで実家への連絡をやめて、
mixi、Twitter、スカイプで情報収集。

うちは顧客のサーバーをたくさん預かっているので
みんなサーバーの確認で忙しく。
いくつかはサーバーダウンしていました。
管理職はみんなの安全確認。

私は念のため、携帯の充電。(運良く充電器を持っていた)
そしてずっと情報収集、安否確認。

しばらくすると、外へ避難しろとの指示。
外へ避難するも、ビルの間、電柱の下。
みんなバカじゃね?避難場所の公園が近くにあるのに
こんなところでバカじゃね?と思いながら
進言してみるも、かなり長い時間そこで待機させられ。
こういうとき、地震にあったことない人はやっぱりダメだ。
的確な知識がない人はダメだ。と改めて感じ。
携帯と、カバンをしっかりもってきたものの、
携帯だけじゃ情報を集めるのも難しいものがあり、
はやく情報が知りたい、はやく会社に戻りたい、
もしくは、避難場所へ行きたい、と危機感をずっと持っていました。
携帯の充電もなくなっていく。
一時間くらいして、雨が降ってきて。
やっと会社へもどれとの命令。
その間にTwitterでいろいろな情報を見ていたけど
悲惨な状態ばかり。
今死にかけている、とつぶやいている人。
宮城で状況が分からないけど、とりあえず元気。と言ってる人。

ニュースで香川にも津波がくるとのこと。
お母さんと連絡がとれないので怖くて。
姉ちゃんが、お母さんは免許センターに
いるといっていたので(海の横)怖くて。

そして、神奈川にも津波がくるとのこと。
はじめは大丈夫だろう、と思っていたけれど
みんながこわいこわい、とつぶやくもんだから怖くなり。

テレビは見れないけど、みんないろんなところから情報を集める。
コンビナートが爆発したこと、
津波でいろいろ流されている映像が怖い、ということ、
初めての死者がみつかったこと。

会社に帰り、今日の仕事の相談。
17時に正式UPをしなきゃいけない案件があったけど
そのサーバーが停電で落ちているようで
つながらない。取引先に電話するもなかなかつながらない。
やっと取引先と連絡がとれたと思ったら、
向こうはみんな地震で帰りました、と。

そりゃそうだよね。。。

あとは各サーバーが正常に動いているかの巡回。
私が確認したかぎりでもかなり落ちていた。

定時になり、「歩いて帰れる人は帰りなさい」
「でも慌てた行動だけはやめてください」とのアナウンス。

家が近い人たちは帰っていきました。

私は電車が完全に止まった状態なので帰れず。
とりあえず様子を見ることに。

歩いて帰ろうかとも思ったけれども、4時間かかる上に
道がまったく分からない。
まぁどうにかして歩いて帰ってもいいんだけど
この頃には同居人が家に帰っていて、
猫の安全と、家の安全を確認していたので
(スカイプはつながるのだよ!万歳!!)
混乱している今動くのは微妙だなということで様子見。

トイレ行きたいのに余震が絶え間なくて怖くていけない。
しかもこの日飲み会の予定だったのに行けるわけない。

18時ごろ、相鉄線が運転開始したとのデマ。
そういうデマがかなり多かった。
JRは完全に動かないと宣言。
そこで帰るのをあきらめた人が多数。

私はネットでTBSがテレビ中継していたのでそれを見て。
携帯で情報集めて。
画面見すぎて頭が痛くて。

他のところで作業していた人たちは
歩いて会社まで戻ってきていて。
とりあえず会社に泊まる方向でみんな話し合い。

何人かはお酒を買い込み飲み始める。
私たちははじめはトランプで時間をつぶす。
大富豪初めて教わった!

途中で会社の隣にあるコンビニに食料調達いくと行列が。
食品はもう何もない。
カップラーメンとかはまだいっぱいあるけれど。

とりあえずお菓子買って、お酒も買って、
ちょっと散歩する。

渋滞がひどい。人ごみもひどい。
地図を持っている人たち。
みんなどこかから歩いてきて、どこかへ帰っているよう。
渋滞の中には緊急車両も。動けない。

高速も道路も、閉鎖されているところは多々あり。
閉鎖されていないところは渋滞で動けなく。
20分でいけるところが5時間かかったと誰かが言っていた。

22時くらいになり、会社の他の階で飲み会をしている場所へ。
そこにはテレビがあり、最新情報、
改めて津波の映像、火災の映像が見れた。
ひどいありさま。
ここまで大きいとは・・・。
まだ実感はない。
みんなで飲みながら雑談。

22時半ごろ、相鉄線が本当に動いたという情報。
テレビでも流れたし、実際乗って帰った人からもメールが来て、
これはチャンスだ!!と、残っているお酒を一気飲みして帰路へ。
とりあえず京急は動いていないので、横浜駅まで歩く。
これはたまに朝歩いているから道は分かるし20分もかからず。

横浜駅に歩いていく途中、やっぱり歩いてる人々、
車の渋滞、バス待ちの行列、公衆電話の行列、
道に座り込む人々、閉まっている居酒屋、
開いているお店、居酒屋に並ぶ人々、
あらゆるところでいろんな行列、警察。
横浜駅に近づくにつれてひどくなり、
横浜駅構内にはかなりの人が座り込み。
ああ、被災地なんだ、と実感した瞬間でした。

相鉄線は、タイミングよく電車が出たあとだったので
一本待って、座れた。
隣に座った人が妊婦さんで、ああ、大変だ、と他人事ながら思った。
その時間に動いている電車は相鉄線と京王線のみ。
めちゃめちゃ混んでる・・・というほどではなかった。
きっとみんな帰るのをあきらめていたんだと思います。
歩いて帰った人もいるし
もともと相鉄線ユーザーが少ないっていうのもあるんだと思う。

電車に乗ってる間は大きな余震もなく、
なんとか家に到着。
同居人と猫に会えた安心感は異常。
家の安心感は異常。
会社ではなんともなかった涙腺が緩む。

しばらく、緊急用の人たちのために
自粛していた電話を、自分のためにかける。
母親へ。

きっととても心配していたんだろうと思う。
でもそんなことを出さないように、普通に会話。
親子似た感じ。
私もこういうときほど元気な声で会話。

届いていなかったメールも届き始める。
メールもまだ不安定で届いていたり、届いていなかったり。

家でテレビをずっと見てみて、
やっぱり改めてすごい地震だったんだと。。。

帰宅困難者は横浜駅で6万人?
海老名駅で6000人ほどいるとのこと。

昼間はみんな私の携帯の電池を気にして
電話やメールを控えてくれていたらしいけど
夜になって結構届いてくる。

怖くて寝れない気がしたけれど、案外すんなり寝れた。
相当疲れた。気持ち的に。
あの恐怖は忘れられない。

手の震えは収まったけども余震が怖い。
夜中も何度も余震があった。
私はベットの横の隙間にはまっていた(猫に押し込められた)
でもぐっすり寝れた。

そして起きました。
この日記書くの時間かかりすぎた。。。

感じたことはたくさんある。
伝えたいこともたくさんある。
でも、宮城や福島の方々のことを思うと被災者面は出来ない。

水死体があがったときいたのは家に帰ってきてからのこと。
それまでは死者は36人と聞いていたのに
一気に桁が変わっていて。
水死体があげられた様子を想像するといたたまれなかった。
そして、福島の家族と連絡がとれないと泣く人々。

無事でありますように。
2011年03月12日(土)

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