Comes Tomorrow
ナウシカ



 虐待を受けていた少年について

私以外にもたくさんの通報があり、警察、児童相談所、学校で連携を取ってくれているようです。

学校にも協力を要請し、親を呼んで指導を度々してくれているそうです。
児童相談所の担当のケースワーカーさんの話では、暴力を奮っていた男は義父で23歳、少年は母親の連れ子だそうです。
少年の下には弟、妹がおり、母親は今妊娠中で夏前にはまた生まれる予定みたいです。
母親はその男にベタ惚れらしく、暴力を奮われてる自分の息子をかばうでもなく、『躾だ!』という義父の側に立ってるみたいですね。

指導の後も状態が改善されなければ、児童相談所の方で少年を保護する手続きをしてくれるそうです。
手遅れにならないうちに早く保護してもらいたいものです。
母親があれでは改善される可能性は低いでしょうから。
まして下の子が生まれたら、母親のいない間に…ってこともありますから。

(逃げればいいのに…)と言う人がいますが、親から逃げることは子供にとっては死を意味するぐらい大変なことなんです。
逃げれる訳ありません。
その少年も暴力を奮われているのに、義父から離れずにいたので、たぶん父親に違いないと思っていました。

でも虐待から逃れても、それで解決したことにはならないんですよね。
だから少しでも傷が深くならないうちにって思うんです。

私も家庭内の荒れがピークに達した時、周りの人(近所の仲良くしてたお姉さん)に助けを求めたことがありました。
でも多忙だったのか何度電話してもいなくて、折り返し電話があった頃には私は心を閉ざしてしまいました。
助けを自ら求める時はもう限界に達してるんですよ。
ギリギリまで我慢して我慢して、そしてもうダメと思う時にSOSを出すので、それに応えてもらえないと一旦思ってしまうと、もう誰も私の話は聞いてくれない、助けてくれないと思ってしまって、心を深く閉ざしてしまうんです。

私の場合はそれで自殺を考えましたね。
死にきれず、親を殺すことも考えました。
でも幸い、思い切って打ち明けた学校の先生が親身に相談に乗ってくれたんで、私は救われました。

『中途半端な善意はかえって本人を傷つける。』と言う人がいます。
私が看護学校から保育所に実習に行った時も、問題のある子がいて母親からの愛情不足で保育士にベタベタに甘えたり、暴れまわったりする子がいました。
保育士さんは『親の代わりはできないし優しく接し過ぎると、かえってその子に可哀想な思いをさせる』と言って、ある程度突き放していました。

でも私は親に全面的に代わる人はいなかったですが、何かと気にかけてくれたり、声をかけてくれたり、ただ話を聞いてくれたりしただけで、かなり救われたんですよ。
それが大人への信頼感を唯一得る方法でした。

自分や自分の家庭を犠牲にしてまで関わる必要はないと思いますが、少し優しい声をかけてくれるだけで、その場は何も反応なくても心には必ず届いてます。
私が心を閉ざしてしまって、ずっと電話にも出ず拒否してしまった近所のお姉さんは、それでも何度も私に電話をくれたり、家に来てくれたりしました。
私が気持ちが落ち着いた頃、少し話ができて私も謝りました。

それに深く関わってはくれなくても、優しくしてくれた人のことは覚えてます。
親に箴言してくれた人もいました。
私を褒めてくれた人もいました。
うちの親に私のことを叱ってくれと言われた中学の担任は、私に何を言うでもなく叱るでもなく、ただニコニコ笑っていました。
それだけでも(私を見守ってくれる人はいる)と思ったもんでした。

そのことは今、大人になって更に深く大きく心の支えになってます。
親に虐待された人は人格を深く傷つけられてるので、心の支え(柱)がないんですよ。
だから、少しのことで傷つき、挫け、人生を挫折してしまうかのようになってしまうんです。
社会で適応しにくかったりするんです。

できることをできる人がするという当たり前の社会になってほしいですね。
大きな責任を背負う必要もないと思います。
一日一善のような気持ちでいいと思うんです。
虐待かな?と思ったら、子供のためにも親のためにも通報なり何らかの行動を起こしてあげて下さい。

少年のような虐待被害の子供がこれ以上増えないことを祈ります。

2003年05月12日(月)
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