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■ 官から民へ
『世界』7月号、P154〜若者は「右傾化」しているか〜の「リスク社会の自己責任」でも、少しこのような問題に似ていることが書かれていましたが、要は『 「みんなと同じように、自己責任でリスクをとれ」と要求する、「捻れた平等主義」 』なんではないでしょうか?
バブルの景気のいい頃は、公務員は安定しているけど、よっぽど出世しない限り、とび抜けて儲けることもできず、面白みがないといって、青年実業家がもてはやされた時期がありましたね。 それがバブルがはじけて、景気が悪くなると、雇用が安定していて、一定の給料をもらえる公務員は、何だか得している人種に見えてくる。 『あまり面白みもない、たいした仕事もしてないのに、国というものに守られて、おまえたちはいいよなぁ〜』という僻みというか、そんな意識を持つ人が増えたんではないでしょうか?
そして、一部の甘い汁を吸っている官僚と公務員を一くくりにして、『私たちと同じようにリスクを背負え!』と言っているのではないか。 官僚というと、一般庶民には手の届かない巨大な権力という感じだけど、公務員だと、より庶民に身近で叩きやすい。 『元々は一般庶民だったくせに、国の保護のもと、甘い汁を吸いやがって!』みたいな、日常生活での自分たちの不満や政府への不満なんかを、よりぶつけやすい目の前の公務員にぶつけて、うっぷんを晴らすという、仏法でいう畜生界の生命でやっているのではないでしょうか?
結局、小泉さんがやっていることは、自分たちに向く国民の不満の矛先を、公務員に向けさせて、公務員がさも小官僚であるかのように吹聴し、ガス抜きさせて、上手く誤魔化しているのではないか! 本当は、公務員も財政難に伴い給料やボーナスをカットされたり、政府が丸投げで下ろした法案を、現場で働く公務員に押し付け、その責任は政府が取らず、公務員に責任をなすりつけたりしてるのに、大多数の善意?の国民は、自分たちの生活苦の不満を公務員に向けて、文句を言っている!
本当は自己中心的な考えであるのに、言葉では平等主義を掲げて発言している。 ここに民主主義の落とし穴があると思います。 そういった国民性というか性質というか、それを上手く利用するのに長けているのが、小泉さんではないかと思います。
やはり自己変革というか、人間革命の必要性が、こんな時ほど求められる時はないですね。 結局は、人のためというのは、自己犠牲のように見えて、実は自分たち一人一人のためになるという考え方(本当はとてもシンプルなことなのに、これが難しい)に通じていくことなのに、それに気づかず、小泉さんの言っていることが、さも正義にように聞こえてしまう。
本当に怖いことです。
2005年08月13日(土)
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