「日本には正義がなさすぎる」のだろうか? - 2002年09月12日(木) 昨日の夜、テレビを観ていたら、筑紫哲也が「正義がなさすぎる日本」という発言をしていた。 僕は無宗教なのだが、たとえば「殺してはいけない」「盗んではいけない」というような教えは、カルト宗教ではない、メジャーな宗教では、必ず含まれているものだ。 宗教の違いが戦争を生む、という考え方もあるだろうけれど、本当に敬虔な信者であれば、仏教徒でもキリスト教徒でも、イスラム教徒でも、不要な争いなどしないはずなのに。 もし世界に宗教がなかったら、「同族を殺すのは悪」「盗むのは悪」ということは、大多数の人類の共通認識となっていなかったかもしれない。そう考えると、宗教が自制心として人類に果たしてきた役割は大きいのだろう。 「無宗教」というのは、「何でもあり教」の信者であるといえなくもないし、正義の基準のマイルストーンとしての宗教は、これからもなくなる事はないのだと思う。 宗教というのは、人類が経験の蓄積によって得てきた正義の基準のひとつ、といえるのではないだろうか。 少なくとも「無宗教である」なんて、自慢するようなことじゃない。 ...
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