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あえて「千と千尋の神隠し」を酷評してみる。 - 2003年01月24日(金) たぶん今、日本人の約3分の1が、「千と千尋の神隠し」を観ていると思う。あとの人たちは、金曜日の夜だから呑み会だ。 こんな時間に、書き物をしているのも変な話ではあるけれど。 でもあえて、空き巣的に「千と千尋の神隠し」について語ってみたい。 この映画を最初に観たときの感想は「まあ、こんなもんかな」であった。 一緒に行った彼女も「まあ、映画代相応ってとこかな」という評価。 確かに、映像はものすごく綺麗なのだ。 「風の谷のナウシカ」の画面と静止画で比べてみれば、ファイナルファンタジーの2と10くらいの違いはあると思う(ちと大げさ)。 でも、この作品に、僕がいまひとつ乗り切れなかった理由は、そのあまりにも教条主義的なところなのだ。 宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」は、「自然保護がテーマになっているということなのだが、悪いが僕は高校生のときに最初にこの映画をみたとき、とにかく綺麗だなあ、と感動して最後にナウシカが蘇ったシーンで涙を流した。 しかし、「千と千尋」を観たもので、この映画のテーマが「環境破壊」と「ひとりの少女の成長」であるということがわからない人はいないだろう。 ハクの正体が「琥珀川」という川の名前だというところなんか、こじつけがましいまでの自然保護。推理小説で、話の後半に突然出てきた登場人物が「実は私が犯人です」と言っているようなものじゃないか? むしろ、強引に自然保護テーマを結びつける必要は、なかったと思う。 テーマが透けて見える映画には、説得力を感じない。 それに、千尋の自立は、あくまでも湯屋の中でのもので、戸塚ヨットスクールに入れられた学生みたいなものだという気がするしさ。 あんなの子供にとっては「恐怖体験アンビリーバボー」以外の何ものでもないぞ。 宮崎作品では、エンターテイメント性を追求した「カリオストロの城」(これは本当に大傑作だと思う。何度観ても面白い!)や「紅の豚」(確かにカッコイイ、いやほんと、ただそれだけの話なのだが)のほうが、僕は好きなのだ。 それにさ、あの話の結末は、千尋についてはハッピーエンドなんだろうけど、あの世界のほかの住人は、全然救われちゃいないのだ。自立できない人は、生きていく資格がないということなのだろうか? この作品が海外で大絶賛されたのは、東洋的な妖怪が珍しかったのと、テーマがわかりやすかったのと映像が美しかったからだと思う。それ以上でも、それ以下でもない。 少なくとも、子供はともかく、大人が手放しで誉める映画ではない、と僕は思っているのだ。 あの、僕は宮崎監督、大好きです。でも、ヒットメーカーになり、社会的影響力が強くなりすぎてしまったために、より無害で教条的で平易なものを創らなくてはならなくなってしまったという今の状況は、ちょっと可哀相だなあ。 ちなみに、僕の宮崎作品ベスト3(カリオストロの城は、今回は除く) (1)風の谷のナウシカ (2)紅の豚 (3)天空の城ラピュタ でもたぶん、今の巨匠宮崎駿に「ナウシカ」は創れない(というか、創らせてもらえない)のではないかなあ。 「巨匠」北野武が「その男、凶暴につき」では、もうみんな納得しないのと同様に。 ...
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