マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

中島らも氏に、一度だけ会ったことがある。 - 2003年02月06日(木)

 中島らもさんに、一度だけ会ったことがある。

 いや「会った」といっても、僕の一方的な感情で、彼からすれば、僕は単なる多数の中のひとりでしかなかったのだろうけれど。
 数年前、中島さんが以前に主催していた劇団「リリパット・アーミー」の福岡公演に行ったときのこと、日本の多くの劇団の慣習に従って、その公演でも終了後、プログラムに出演者たちがサインをする、というイベントが行われたのだ。
 そのときは、リリパット・アーミーの結成何周年かで、中島らも前座長とわかぎゑふさんが、並んでサインをしてくれていたのだ。
 僕はそのとき、僕と同じく、らもさんの大ファンである同い年の女性とその公演を観にいっていて、2人でサインをもらいに行くことにしたのだ。
 行列に並んで、いよいよ僕の番。
 向かって左手にわかぎさんがいて、右手にらもさん。
 そのとき、僕はただひたすら緊張していた。
 わかぎさんが香道の達人という話も聞いたことがあったので、自分は変な臭いがしてないかなあ、などと思ったり。
 僕の前に並んでいた同級生は、ニッコリ笑ってわかぎさんと言葉を交わしたりしていたのだが、僕はただ「ありがとうございます」というのが精一杯だった。
 わかぎさんは、活力のカタマリみたいな人で、トレードマークの黒いテンガロンハットを被っていたらもさんは、サインをし終わった後、鋭い目つきで僕のほうをギロッと睨んだような気がした。正直、彼を包む巨大な殻みたいなものを僕は感じたのだ。そしてそのあと、らもさんは照れくさそうに顔を緩め、隣のわかぎさんに何か耳打ちしていた。
 ちなみに、同級生の印象は「すべてを受け入れるというか、包容力がありそうな人」だった。
 同じ人間にほとんど同じ時間に会ったのに、個人個人の受け止め方というのは、ここまで違うものなのだ。

 僕は、今でもそのときのサインを大事にしているのだけれど、中島らもという人は、その時はそうでもなかったけれど、あとから思い出してみると、とても印象に残っている人だ。
 
 大きすぎる創造性と依存心と慢性躁鬱。
彼は、麻薬の類を「日本国内では、絶対やらない」と公言していた。
 大麻に溺れるなんて、人間として情けない、という意見もあるだろうし、大麻に頼らないとならないくらい、厳しい心の闇を抱えていたんだろうか?という気もする。
 それもたぶん、その人の受け止め方しだい。

 実際、本人にも何故だかわからないんじゃないかなあ。
 
 ひとつだけ言えることがある。
 「中島らもが大麻をやっていた」ということでファンを止める人は、少ないだろう。
 たぶん、彼が「大麻は二度とやらない」と宣言したときに減るファンの数と比べると圧倒的に。

 ある人からいただいたメールで考えたのだけれど、今回の逮捕は、らもさん自信にとっては、薬物依存から逃れるためのリハビリ施設への入所みたいなものかもしれない、とりあえずそう思うことにしよう。

 出版社も、どうせあとで「獄中記」とか手のひらを返したように依頼してくるなら、あんまり責めないほうがいいような気もするが。


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