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今日の私
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昨日今日が中日エリザ楽だなんて忘れてました。 パルコの開演前、毎日いるはずの某社長の姿が見えず 珍しいなぁと思っていたら、終演後にはいらして。 「帰ってこれないかと思いましたよー」と言うので 何事かと思ったら、ただいま台風16号の影響下にある 名古屋でのエリザ楽に日帰りしてきたとのこと。 楽って誰の?月曜日に??と、友人ともども ?マークだらけで劇場を離れ、帰宅して事実を知る。 昨日が山口-石川楽、今日が内野-綜馬楽。
感想を求めてネットをさまよううち、 友人宅の掲示板でものすごく納得いく感想を発見。 本人にも管理人さんにも許可を得ていないので コピペは控えますが、2人のフランツにおける、 「名君と呼ばれたい」と「妻に側にいてほしい」、 2つの願望の比率として違いを考えている文章。 綜馬フランツにおいては2つはほぼ同じ比率で 「夫婦が寄り添うことが国の幸せにもつながる」。 禅フランツでは、前者は後者の前では色をなくす。
彼女は、臣民としては綜馬フランツだけれど 女としては禅フランツに愛されたいと結んでいましたが、 私はこれを読んではっきり「だから私は禅フランツが どーーーしても受け入れられないんだわ」と納得。 家も仕事も投げ出して120%愛されるなんて、嫌すぎ。 「独りできちんと立って生きていくことができて、 それでも尚、足りない部分を探したい」という感じが 私が恋愛に求めるものであって、禅フランツの有り様は 文章読んだだけでも思わず「うざーっ!」。
だから、禅さんの演技がどうこう言う前に、私は 基本的に禅フランツを語る資格がなかったらしいです。 途中からひたすら感情的に「こいつどっか行け!」しか 思えなくなっているようじゃ、演技についてなど語れず。 いや「こいつ」と思えるってことは、完全に禅フランツが 1個の人格として成り立っているということなのかも しれないから、いいことなのだろうとは思うのですが。
しかし、納得したことで一つ収穫。 私は思いのほか主人公に近い視点で観ていたのかも。 私だって「すべてを捨てて相手に尽くし続ける男」なんて ドラマに全く心が動かないわけじゃないのに、ここまで 禅フランツに拒否反応なのは、きっと自分の夫と思うから。 あとは、死やら詩やらといったものに惹かれる思いを 理解することさえできれば、エリザに共感できるのかも。 でもそれって、あまりにも私には大きな壁すぎる感じ。 とりあえず、エリザが関東に帰ってくることがあるならば、 選ぶは、祐トートに綜馬陛下、朴ルド、今エルマー。 激戦すぎるけど、これを観るだけだなと結論づきました。
あ、ちなみに今までも私は自分の言葉として発言する時は、 ポリシーで、「綜馬陛下」「禅フランツ」でした。きっと、 彼女と同じようなことは感じていたからなんだろうなぁ。
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