バイオトープの庭

2003年12月04日(木) セレモニーに出席

 今日(4日)、父の姉つまり伯母の葬儀に出席した。

 もう亡くなった私の父は、家でほとんどしゃべらない人だった。

 そして私の母は、親戚付き合いをしてこなかった。

 その母の温床(?)になっていたのは、母方の人間だ。

 特に祖母(母の母)は、父や父方の親戚をよく言わないのが普通だった。

 とはいえ、今考えると阿呆らしいことだ。土産の量が少なくてケチだ、

 というレベルのことを永遠と言いつづけていたのだ。

 なんだかタイピングしてるとコント書いてるみたいだな。

 だから私は、幼い頃から刷り込まれていたことが影響して、父方との親戚との

 付き合いの垣根がものすごく高いものになっていた。


 私の母は性質も関係しているのだろうが、病からかつて

 その亡くなった伯母に、とんでもないことを言ってしまったことがあるらしい。

 ああ、この人は調子が悪いんだな、病気なんだな、とは理解してもらえない。

 本当に理解するのは難しい病気なのだ。娘の私だって頭で病気と分かっていても

 現実に腹の立つ言葉を聞くと、気持ちのもっていきようがなくなる。

 単に「ゴメンナサイ」ではなく、病気を分かってもらうためには

 濃く暖かな関係が必要なのだ。だから、それほどでもないと「疎遠」を選択しがちだ。

 ちょっと最近は選択し過ぎで淋しくなってきた。反省。


 あんなに疎ましく思っていた父なのに、叔父達に父の似た表情や

 仕草を見つけると涙がこぼれそうになる。

 普段離れて暮らしていてほとんど会わない叔父達に対する親近感。

 今、タイピングしながら涙がこぼれてきた。自分でもよく分からない。

 鎖が解けた。リセットされていく感覚。不謹慎かもしれないけど、人が亡くなると

 そう思う。世代交代と未来を考えるってことだな。





 < 過去  INDEX  未来 >


Begonia [MAIL] [おうち鑑賞]

My追加