今日(4日)、父の姉つまり伯母の葬儀に出席した。
もう亡くなった私の父は、家でほとんどしゃべらない人だった。
そして私の母は、親戚付き合いをしてこなかった。
その母の温床(?)になっていたのは、母方の人間だ。
特に祖母(母の母)は、父や父方の親戚をよく言わないのが普通だった。
とはいえ、今考えると阿呆らしいことだ。土産の量が少なくてケチだ、
というレベルのことを永遠と言いつづけていたのだ。
なんだかタイピングしてるとコント書いてるみたいだな。
だから私は、幼い頃から刷り込まれていたことが影響して、父方との親戚との
付き合いの垣根がものすごく高いものになっていた。
私の母は性質も関係しているのだろうが、病からかつて
その亡くなった伯母に、とんでもないことを言ってしまったことがあるらしい。
ああ、この人は調子が悪いんだな、病気なんだな、とは理解してもらえない。
本当に理解するのは難しい病気なのだ。娘の私だって頭で病気と分かっていても
現実に腹の立つ言葉を聞くと、気持ちのもっていきようがなくなる。
単に「ゴメンナサイ」ではなく、病気を分かってもらうためには
濃く暖かな関係が必要なのだ。だから、それほどでもないと「疎遠」を選択しがちだ。
ちょっと最近は選択し過ぎで淋しくなってきた。反省。
あんなに疎ましく思っていた父なのに、叔父達に父の似た表情や
仕草を見つけると涙がこぼれそうになる。
普段離れて暮らしていてほとんど会わない叔父達に対する親近感。
今、タイピングしながら涙がこぼれてきた。自分でもよく分からない。
鎖が解けた。リセットされていく感覚。不謹慎かもしれないけど、人が亡くなると
そう思う。世代交代と未来を考えるってことだな。
|